真言宗豊山派、勧光山満願寺と号し、本尊は釈迦如来。天和―貞享年間(一六八一―八八)頃に現在地に移建された。慶安元年(一六四八)八月二四日に徳川家光から「常陸国河内郡歓喜院領、同郡関本村之内七石、同所之内八幡領三石、稲荷明神領五石、合拾五石事、任先規寄附之訖」との朱印状(歓喜院文書)を与えられた。
新義真言宗明細帳(同文書)によると、明治初年に当院の末寺として確認されるのは
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
…【服部 昌之】
[朝護孫子寺]
信貴山真言宗の大本山(通称信貴山)。正式には朝護国孫子寺といい,歓喜院ともいう。寺伝によれば,聖徳太子が物部守屋討伐の折,この山で毘沙門天に祈り,勝利を得てのちここに毘沙門天をまつり,信ずべき貴ぶべき山すなわち信貴山と号したという。…
※「歓喜院」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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