出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例
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歓喜院
かんぎいん
[現在地名]妻沼町妻沼
利根川右岸の自然堤防上、東西に走る主要地方道羽生―妻沼線の両側に位置する。聖天山歓喜院長楽寺と号し、高野山真言宗。本尊は大聖歓喜天(聖天尊)。もとは長井庄総鎮守聖天宮の別当寺。聖天宮縁起(歓喜院蔵)によると、平宗盛の家臣斎藤実盛が長井庄に移住し、治承三年(一一七九)に古社(二柱尊宮)を修造したが、先祖利仁将軍が歓喜天を信仰した例にならい、これを聖天宮として尊崇した。実盛の戦死(寿永二年の加賀国篠原での木曾義仲軍との合戦時)後、次男実長は出家して良応と号し、実盛の外甥宮道国平らとともに聖天宮修復と別当寺造営の許可を源頼朝に願い、建久八年(一一九七)に完成したといわれる。
歓喜院
かんきいん
[現在地名]関城町関本上
真言宗豊山派、勧光山満願寺と号し、本尊は釈迦如来。天和―貞享年間(一六八一―八八)頃に現在地に移建された。慶安元年(一六四八)八月二四日に徳川家光から「常陸国河内郡歓喜院領、同郡関本村之内七石、同所之内八幡領三石、稲荷明神領五石、合拾五石事、任先規寄附之訖」との朱印状(歓喜院文書)を与えられた。
新義真言宗明細帳(同文書)によると、明治初年に当院の末寺として確認されるのは円乗院(関本上町)、光明院(関本下町)、泉蔵院・長光院・金乗院・遍照院(関本中町)、三蔵院(下館町)の七ヵ寺。当院の開基については不明な点が多いが、末寺のうち五ヵ寺がすでに一五世紀半ばから一六世紀前期には開創されているので、当院もそれ以前の成立であることは疑いない。
歓喜院
かんきいん
主要地方道西脇―三田線を北に旧道へ入った所にある。この旧道を赤松道という。赤松山と号し、曹洞宗。聖天堂とよばれている。もとは毘沙門城主藤田氏開基の天台宗常楽寺を継承した寺という。常楽寺は現在当院付属の毘沙門堂にある多聞天像を本尊とする古刹であったという。三木合戦後、衰亡はなはだしく廃寺となったが、元禄(一六八八―一七〇四)の頃に不山宗説という禅僧が藤田氏の廃館に居住、その氏神に歓喜聖天を祀り当院が開山された。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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歓喜院
埼玉県熊谷市妻沼(めぬま)にある寺院。1179年に斎藤実盛が武蔵国長井庄に開いた聖天宮が起源とされる。高野山真言宗準別格本山。本尊の御正躰錫杖頭は国の重要文化財、本殿(歓喜院聖天堂)は国宝に指定されている。「聖天山」「妻沼聖天山歓喜院」などともする。
出典 小学館デジタル大辞泉プラスについて 情報
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世界大百科事典(旧版)内の歓喜院の言及
【信貴山】より
…【服部 昌之】
[朝護孫子寺]
信貴山真言宗の大本山(通称信貴山)。正式には朝護国孫子寺といい,歓喜院ともいう。寺伝によれば,聖徳太子が物部守屋討伐の折,この山で毘沙門天に祈り,勝利を得てのちここに毘沙門天をまつり,信ずべき貴ぶべき山すなわち信貴山と号したという。…
※「歓喜院」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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