正楽寺(読み)しようらくじ

日本歴史地名大系 「正楽寺」の解説

正楽寺
しようらくじ

[現在地名]山形市幸町

江戸時代の山形城三の丸内南東部にあたる地域に位置する。金鳥山と号し、天台宗。本尊阿弥陀如来・十一面観音。文政七年(一八二四)の正楽寺縁起によると、紀伊国天野郷出身で、天長九年(八三二)子年・子月・子日・子刻に生れた救世丸が湯殿山・月山で修行を積み、当地の阿弥陀堂に宿って布教したのち、十一面観音を残して去ったという。この阿弥陀堂の跡が当寺で、子の大権現(通称子の権現)が祀られている。

正楽寺
しようらくじ

[現在地名]温泉町前

まえ集落の南部、字杉山すぎやまにある。大杉山(かつては大椙山)と号し、天台宗。寺伝によれば寛永一三年(一六三六)に没した快洒(飯野岩山寺の中興開山と同一人物とされる)による再興で、かつて当地にあった勝楽しようらく寺の寺基を継承する寺院とされる。保元三年(一一五八)一二月三日付の官宣旨(石清水文書)では但馬国の山城石清水いわしみず八幡宮領八ヵ所のうちに「勝楽寺別宮」がみえる。「二方考」はこの勝楽寺別宮を村の正八幡宮(現八幡神社)とし、当地にあった勝楽寺が別当を勤めていたと推定している(現浜坂町久谷の八幡神社とする説もある)

正楽寺
しようらくじ

[現在地名]津島市南本町

本住ほんじゆう寺から二〇メートルほど南にあり、巡見街道に沿っている。井堀山と号し、真宗大谷派。本尊は阿弥陀如来立像。

天台宗寺院で中島郡儀長ぎちよう(現稲沢市)にあったが、天正二年(一五七四)住職祐信が本願寺顕如光佐に帰依して浄土真宗に改宗した時に津島村下構しもがまえの現在の地に移った(井堀山正楽寺記)。方便法身像(当寺蔵)の宣如光従の裏書が寛永二年(一六二五)二月であるから、この時に寺院として確立したと考えられる。

正楽寺
しようらくじ

[現在地名]仙台市新寺二丁目

成覚じようかく寺の北、北原山と号し、阿弥陀如来を本尊とする。浄土真宗で、かつて真宗大谷派に属したが現在は単立。古く名取郡笠島かさしま(現名取市)に草庵を結んだ僧真源の開山と伝え、二世福寿坊のときは玉造たまつくり岩出山いわでやま(現岩出山町)にあり、三世明慶のとき日辺につぺ村に移ったという。この折藩祖政宗が領内同宗の宗寺として現寺号にし、のち現在地に移建した。

正楽寺
しようらくじ

[現在地名]高浜町日引 地ヶ中

日引ひびき北部海岸より一段高いところにある。高野山真言宗であったが、現在は単立。山号普門山、本尊聖観音。永享三年(一四三一)成立の同寺縁起写(当寺蔵)によれば、もと丹後国田井たい別所べつしよ(現京都府舞鶴市)にあり、行基の開創と伝える。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

デジタル大辞泉プラス 「正楽寺」の解説

正楽寺

岡山県備前市にある寺院。高野山真言宗。山号は日光山院号千手院。本尊は十一面観世音菩薩。奈良時代、報恩大師の開基と伝わる。備前岡山藩池田氏の祈願所

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