日本大百科全書(ニッポニカ) 「歯牙変工」の意味・わかりやすい解説
歯牙変工
しがへんこう
歯に人為的な処理を施して変形させたり装飾すること。歯科医師の行う処置も広い意味では歯牙変工に入るが、とくに伝統的社会で行われている慣習としてのものをいう。歯牙変工は身体変工の一つであり、いれずみなどの他の身体変工がそうであるように、装飾的な意味だけでなく、社会的、文化的な意味をもっている。
歯牙変工はアフリカ、インド、インドネシア、メラネシア、ポリネシアの諸民族や、オーストラリア先住民、南北アメリカ先住民など、多くの民族で行われている(あるいは行われていた)。
[板橋作美]
技法
歯牙変工の方法にはいくつかある。
〔1〕抜歯 前面の歯、とくに犬歯を、たいてい左右対称に抜き取る。歯牙変工のなかでもとくによく行われる方法で、日本の縄文時代の遺跡からも抜歯された頭骨が出土する。
〔2〕削歯 これも広くみられる方法で、歯牙をやすりで削ったり鋭利な刃物で打ち欠いて変形させる。これには次の種類がある。
(a)尖化(せんか) 前面の歯(切歯、ときには犬歯も)を鋭くとがらせる。歯の片端、または両端を斜めに削って山型にとがらせたり、歯の中央にV字型の溝を入れて両端をとがらせたり、いくつかの切れ込みを入れてのこぎり状にする。犬歯の場合、内側隅角を斜めに切り取ることもある。
(b)水平研摩 歯の鋭さを取り去るもので、歯冠咬口(こうこう)面を水平にすり減らす。ときには歯冠部をほとんどなくしてしまうことがあり、これをとくに断歯という。
(c)そのほか、歯の前面を研摩したり、溝を掘り込むこともある。これはたいてい次の染歯を伴う。
〔3〕染歯 歯に鉄漿(かね)や植物性の色素を用いて彩色する。日本のお歯黒のように歯にそのまま色素を塗る方法と、歯の表面のエナメル質を削り取ってから着色する方法がある。
〔4〕飾歯 歯牙に貴金属や宝石類をはめ込んだり、かぶせ物をする。
[板橋作美]
社会的・文化的意味
服や髪型、いれずみなどと同じく、歯牙変工の目的の一つは装飾と考えられるが、同時に、それ以上の社会的、文化的意味をももっていると考えられる。歯牙変工は、歯に人工的な手を加えることによって、歯をなんらかのしるしとするのである。たとえば飾歯はたいてい経済的、社会的に高い地位の者が行い、歯を飾ることがステイタス・シンボルとなっている。また歯牙変工が自己の属する集団を表示することも少なくない。歯牙変工を行うか、行わないか、あるいは歯牙変工のやり方の違いによって所属集団がわかる。オーストラリア中央部の先住民では、水をトーテムとする集団だけが歯を削る。これによって雨をコントロールできると考える。同じような歯牙変工と雨乞(あまご)いとの関係は、アフリカのドゴン人やバントゥー系諸集団にもみられる。歯を鋭くとがらしてワニに似せることによって雨を乞うのである。歯牙変工は成年式のときに行われることが多い。たとえばオーストラリア東部の先住民は成年式のときに抜歯や削歯を行う。アフリカのヘレロ人では割礼とともに前歯をV字型に削る。また結婚のときに行う例もよくみられる。たとえばニュー・ヘブリデス諸島のナンバ人では、女性は結婚するときに抜歯する。これは男性の割礼に対応している。日本でも、時代、階層、地域によって異なるが、一人前になった女性(室町時代ごろまでは男も)、あるいは結婚した女性が鉄漿(かね)をつけた。成年式や婚姻時に歯牙変工を行う場合、歯牙変工は、被施術者が子供でなく大人、未婚者ではなく既婚者といった社会的地位や役割を表示しているのである。さらに、歯牙変工が人間であることの表示である場合もある。アフリカのマンダリ人は、人間は抜歯すべきで、抜歯しない人間は野獣と同じだと考えている。インドネシアのバリ島では男女とも青年期に切歯と犬歯を削る。バリ島民は、人間が動物的な行為(食行為、近親相姦(そうかん)、双生児の誕生など)を行うことを嫌う。悪神は動物的な姿をし、長い牙(きば)をもつものとして描かれている。そこで、人間が真に人間になるには、人間の動物的部分、つまり鋭い歯を削らなければならないと考えるのである。このように、人間を自然、動物と対立したものととらえるとき、抜歯や削歯は、人間性、文化を象徴するものとなるのである。
[板橋作美]