比較認知科学(読み)ヒカクニンチカガク

最新 心理学事典の解説

ひかくにんちかがく
比較認知科学
comparative cognitive science

ヒトを含めたさまざまな動物の認知機能を調べることを通して,認知機能の進化を明らかにしようとする学問の一分野。動物心理学や動物行動学といった研究の流れを背景に,認知科学の隆盛と相まって,1980年代後半から90年代初頭に興った学問領域である。

【相同と相似】 比較認知科学の根本にある考え方は,心も進化の産物だということである。動物の身体や行動が進化の産物であるのと同様,心の働きにも進化的視点を導入することができる。したがって,動物種間で認知機能を比較する際,相同homologyと相似analogyという進化論的概念を当てはめることができる。相同とは,進化的に同じ起源をもつ形質の関係を指すことばである。たとえば,鳥類の翼は爬虫類の前肢から転じたものであり,哺乳類の前肢と相同の関係にある。一方,相似とは,進化的に起源が異なるが,似たような機能や形態をもつ形質の関係である。たとえば,鳥類の翼と,昆虫類の翅は相似の関係である。鳥類と昆虫類のそれぞれの進化の過程で,飛ぶという機能のために別々に獲得された形質だからである。

 比較認知科学では,認知機能の相同と相似の両方が研究対象である。両者の総合的な解明によって,多様な動物種の認知機能が,いつ,どのように,いかなる選択圧のもとで進化してきたのかを推測することができる。相同な認知機能の研究の一例として,チンパンジーの道具使用が挙げられる。ヒトに最も近縁な生物であるチンパンジーは,野生の状態において多様な道具使用行動を行なう。道具使用行動の基本は,ある物を別の物に関係づける定位的行動である。物と物を関連づける定位的行動は,ニホンザルなどの旧世界ザルでは非常に乏しいが,大型類人猿では自発的に高頻度で見られる。ヒトの道具使用の根幹である定位的行動を成立させるための認知機能が,大型類人猿の共通祖先の段階ですでに備わっていたことが示唆される。このほかにも,認知機能の進化を跡づけるための相同な機能の解明が,主に霊長類を対象とした研究によって進められている。相似の関係にある認知機能の研究の一例としては,鳥の歌(さえずり song)に関する研究が挙げられる。鳥の歌も,ヒトの言語の文法的規則と同様に,いくつかの規則性が認められる。しかし,鳥類の脳とヒトの脳は構造が大きく異なり,鳥の歌とヒトの言語が同一の情報処理過程によって産出されているわけではない。鳥の歌に見られる諸特性を調べてヒトの音声言語と比較することで,音声コミュニケーションにかかる制約や選択圧を推測することができる。

【心の進化】 比較認知科学における研究方法は,自然的観察法,実験的分析法,実験的観察法の大きく三つに分けることができる。自然的観察法は,対象個体が野生下や飼育下で自然に行なう行動を記録する。鳥の歌を記録してその規則性を分析する研究,霊長類の他者を欺く行動を集積してその背後にある認知メカニズムを考察する研究などが例として挙げられる。

 実験的分析法は,対象個体に人工的な反応を学習させて,知覚,思考,判断などを分析する方法である。チンパンジーを対象とした初期の比較認知科学的研究では,心理物理学psychophysicsによる測定が行なわれた。心理物理学は,フェヒナーFechner,G.T.の提唱した用語で,物理量と心理量との対応関係を明らかにするものである。チンパンジーの研究では,まず赤・黄・青など11色に対応する図形文字を訓練し,その後でマンセル色表を使ってさまざまな色相・明度の色がどのように命名されるのかを調べることを通じて,色の認識と分類に関する心理物理学的測定が行なわれた。その結果,ヒトに見られる色彩認識の普遍性がチンパンジーにも当てはまることが明らかにされた。

 実験的観察法は,自然的観察法と実験的分析法の融合的方法であり,対象個体の生活空間に実験的操作を加えて,そこで生じる行動を記録するものである。野外実験field experimentはその手法の一つである。西アフリカ・ギニア共和国ボッソウ地域のチンパンジーは,台となる石の上に殻の硬いナッツを置き,それを別の石をハンマーにして叩き割るナッツ割り行動を行なう。チンパンジーの生息域の中の一ヵ所を野外実験場として,その場に研究者がナッツと石を人為的に持ち込むことによって,チンパンジーのナッツ割り行動を詳細に観察することが可能となり,この野外実験によって利き手や発達的変化などに関する諸特性が明らかにされてきた。また,参与観察participation observationも実験的観察法の一つとして挙げられる。飼育下においてチンパンジーの認知発達を調べるために,研究者がチンパンジー母子のいる空間に同居して参与する形で直接交渉をもちながら,さまざまな実験的操作を加えて子どもチンパンジーの反応を記録した研究がその代表例である。これによって,表情模倣の発達的変化,概念形成の発達的変化などが明らかにされた。

 上述のような研究は,1個体を被験体として,個体の中で見られる認知機能の解明をめざすものといえる。これに対して,複数の個体間の交渉の中で成立する諸特性を調べる研究も存在する。社会的知性social intelligenceに関する研究であり,比較認知科学における大きな潮流の一つである。複数の個体で集団を形成する動物種では,性別や年齢や社会的順位などさまざまな属性が異なる他個体と日常的に交渉する必要が生じる。交渉相手に応じて,あるいは場面に応じて自らの行動を適切に調整するためには,高度な認知処理が必要となる。それが知性の進化の原動力だったのではないかと考えるのが社会的知性仮説であり,中世の政治家の名前を冠してマキャベリ的知性仮説とよばれたり,社会脳仮説とよばれたりもする。具体的な研究例としては,他者の心の理解に関する研究,欺き行動や協力的行動に関する研究が挙げられる。

 また,計測技術の進歩によって,非侵襲的な方法でヒトとヒト以外の動物の諸特徴を調べて比較する研究も進展してきた。その一例が事象関連電位event-related potentialの測定である。事象関連電位は,音や光など特定の事象に関連して生じる脳電位であり,これを頭皮上の電位変化として脳波計で記録することができる。チンパンジーを対象とした事象関連電位の測定によって,逸脱刺激の処理,顔画像刺激の処理,自己名音声刺激の処理などについて,ヒトにおける脳内処理との類似点と相違点が明らかにされている。非侵襲的な計測技術の導入に関するもう一つの例は胎児観察fetus observationである。4次元超音波画像診断装置を用いてチンパンジーの胎児を観察したところ,片手で別の手を持つ,手で口を触るなど,ヒトの胎児で観察されている二重接触の例がチンパンジーでも認められた。認知発達に及ぼすさまざまな要因の影響をこうした胎児期からの観察で明らかにすることができる。事象関連電位の測定や胎児観察は,神経科学や産科学など異分野の領域と比較認知科学とが融合した研究例といえる。

 このように,多様な手法を用いて,多様な動物種を対象に行なう比較認知科学がめざすのは,心の進化の道筋を描き出すことである。ヒトに最も近縁なチンパンジーを対象とした研究の先には,おのずとヒトの心の理解がある。心は化石には残らないため,その進化の過程を推測するには現生種を比較するのが最も有効な手法である。生物界におけるヒトの最大の特徴の一つである高度な認知処理能力がいかにして進化してきたのか,その答えを探る試みが比較認知科学であるといえよう。ただし,比較認知科学は単にヒトの心の進化のみを取り扱う学問ではない。現代的には,動物界における認知などの心の機能の多様性と収斂を明らかにし,その進化的規定要因を明らかにする学問と定義できる。 →コミュニケーション行動 →進化心理学 →認知 →比較認知発達
〔平田 聡〕

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