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永閑節 エイカンブシ

世界大百科事典 第2版の解説

えいかんぶし【永閑節】

江戸古浄瑠璃の曲節。江戸の虎屋源太夫の弟子小源太が1669年(寛文9)ごろ永閑と改め,その曲節が永閑節とよばれるようになり,元禄(1688‐1704)末ごろまで喜ばれた。芸風は豪快,当時無双の大音の持主で歌舞伎荒事に迎えられたらしい。江戸ではのちの大薩摩節や外記節に押されて形は伝わらなかったが,上方に伝わり,地歌に〈永閑物〉として《寛濶一休(かんかついつきゆう)》が残っている。これは山伏と一休和尚の問答や祈りくらべをつづった曲である。

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大辞林 第三版の解説

えいかんぶし【永閑節】

江戸古浄瑠璃の一。貞享じようきよう1684~1688)頃、虎屋とらや永閑が盛んに語った。豪快な語り口で、操り芝居や、歌舞伎の荒事に多く用いられた。現在では地歌の永閑物に残る。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

永閑節
えいかんぶし

浄瑠璃(じょうるり)の一種。江戸の古浄瑠璃の虎屋(とらや)永閑が創始した一流。永閑は寛文(かんぶん)(1661~73)末から元禄(げんろく)(1688~1704)初期にかけて活躍した太夫(たゆう)で、1680年(延宝8)には『梵天国(ぼんてんこく)』『魔王退治』を将軍の上覧に供している。江戸・堺(さかい)町で操(あやつり)芝居を興行し、金平(きんぴら)風の豪快な芸風であったという。1703年(元禄16)に京都で出版された『松の葉』は『弘徽殿(こうきでん)』『丹前清玄(たんぜんせいげん)』『寛闊一休(かんかついっきゅう)』の3曲を、また翌年刊行の『落葉集』は『上鳴打(うわなりうち)』を、それぞれ永閑節として収めているから、関西でも歓迎されたとみてよい。現代では『寛闊一休』のみが地唄(じうた)に伝えられているが、いたって起伏の少ない曲節である。[倉田喜弘]

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世界大百科事典内の永閑節の言及

【浄瑠璃】より

…この門人広瀬式部の式部節は貞享・元禄(1684‐1704)ころ江戸に流行したが,式部は市村座に出演して歌舞伎浄瑠璃化し,また酒宴の席などのくだけた浄瑠璃を語って座敷浄瑠璃化した。浄雲の弟子の虎屋源太夫の門からは虎屋永閑(永閑節)が出て,元禄ころまで金平風を語った。この門人には虎屋喜元,虎屋寿徳などがあったが,寿徳は歌舞伎に出演した。…

※「永閑節」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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