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江口渙 えぐち かん

美術人名辞典の解説

江口渙

小説家・評論家。東京生。本名は渙(きよし)。東大中退。夏目漱石の門に入る。大正元年(1912)処女作「かかり船」で耽美派作家として出発するが、次第に社会主義への関心を強める。昭和2年(1927)日本無産派文芸連盟結成、同5年作家同盟中央委員長となる。昭和50年(1975)歿、87才。

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百科事典マイペディアの解説

江口渙【えぐちかん】

小説家,評論家,社会運動家。東京生れ。東大英文科中退。夏目漱石の門に入り,薫陶を受ける。漱石没後の1917年,《児を殺す話》で文壇デビュー,1918年の《労働者誘拐》は民衆芸術の成功作と評された。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

江口渙 えぐち-きよし

えぐち-かん

江口渙 えぐち-かん

1887-1975 大正-昭和時代の小説家,評論家。
明治20年7月20日生まれ。夏目漱石(そうせき)門にはいり,「労働者誘拐」で注目される。のちマルクス主義に接近,日本プロレタリア作家同盟中央委員長。戦後新日本文学会,日本民主主義文学同盟に参加した。昭和50年1月18日死去。87歳。東京出身。東京帝大中退。本名は渙(きよし)。作品に「花嫁と馬一匹」など。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

江口渙
えぐちかん
(1887―1975)

小説家、評論家。東京・麹町(こうじまち)に生まれる。東京帝国大学英文科中退。1914年(大正3)『我等(われら)』の編集に協力、夏目漱石(そうせき)の門に入り芥川龍之介(あくたがわりゅうのすけ)らと親交を結ぶ。17年『児(こ)を殺す話』、翌年『労働者誘拐』を発表して文壇的地位を確立した。のちマルクス主義へ接近、批判的リアリズムをさらに深める一方、プロレタリア文学運動の指導的立場にあって活躍した。第二次世界大戦下には人民戦線の立場を貫く。戦後は新日本文学会、日本民主主義文学同盟の中核として活動した。ほかに評論集『新芸術と新人』(1920)、長編小説『花嫁と馬一匹』(1948~49)、回想記に『わが文学半生記』(1952~57)、『たたかいの作家同盟記』(1965~67)など多数の著書がある。[大塚 博]
『『江口渙自選作品集』全3巻(1972~73・新日本出版社) ▽『わが文学半生記』(青木文庫)』

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世界大百科事典内の江口渙の言及

【解放】より

…第1次よりもはるかに社会主義の色彩が強く,山内房吉,青野季吉らによってプロレタリア文学の発表の場となった。27年5月から一時期江口渙,小川未明らの日本無産派文芸連盟の機関誌となり,その後山崎の自由奔放な編集で体裁を変えながら33年ころまで刊行された。(3)第3次 34年10月には渡辺潜を編集発行人として清談社から再び発行された。…

【プロレタリア文学】より

…文戦派)はしだいに色あせて見えるようになり,やがては実力派だった平林たい子,黒島伝治,細田民樹(1892‐1972)らが脱退し,その多くはナップに参加した。なお,明治・大正以来の文壇作家で大正末年から社会主義運動ないしプロレタリア文学運動に参加した作家として,藤森成吉,江口渙(きよし)(1887‐1975),江馬修(ながし)(1889‐1975),宮本百合子,細田民樹,細田源吉(1891‐1974)らがおり,彼らも結局はすべてナップに参加した。ほかに〈同伴者作家〉として広津和郎,野上弥生子,山本有三,芹沢光治良らがいた。…

※「江口渙」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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