ガスが燃焼して発する光を利用する灯火。コークス生産の副産物のガスを照明に利用する技術は,18世紀後半ベルギー人J.P.ミンケレルスやフランス人P.ルボンが開発したとする説もあるが,イギリスのボルトン=ワット商会の技師であったマードックWilliam Murdock(1754-1839)によって実用化された。1792年に実験工場をつくった彼は,1802年にアミアン条約の締結を祝ってバーミンガムのソーホー工場をガス灯で照明して大評判となった。街灯としては,07年にロンドンのペル・メル街にドイツ人技師が最初に用いたといわれる。12年には〈ロンドン・ウェストミンスター・ガス会社〉が成立した。この会社はのちに〈ガス灯・コークス会社〉と改名,23年にはすでに年間2億5000万立方フィート(700万m3)のガスを供給した。ロンドンでは1814年以降,ピカデリーなどに普及したほか,23年にはブリストルにも設置されたが,80年代以降しだいに電灯に取って代わられた。
執筆者:川北 稔
1871年(明治4)横浜駐在ドイツ領事がガス会社設立を企て神奈川県に出願したが,県令井関盛良はこの事業が外国人の手中に陥ることを恐れ,高島嘉右衛門ら有志に諮って別にガス製造所の設立を計画し,フランス人技師ペレゲレンの設計監督のもとに工事を起こし,翌年9月完成して外国人居留地にガス灯を点火した。これが日本におけるガス灯の初めである。同じ年,東京でも府知事の由利公正によってガス灯を新吉原遊郭内に試用しようとする企てがなされたが,これは実施をみずに終わり,73年の銀座れんが街の建設に伴って,ようやくガス街灯の建設が実現した。東京会議所は西村勝三,ペレゲレンらをして建設事業にあたらせたが,翌74年7月から街灯建設が行われ,同年12月18日はじめて京橋と金杉橋の間に85基のガス街灯が点火された。
かくて76年5月には市内のガス街灯は350基を数えるにいたったが,屋内灯としてはまだ十分な発展をみず,77年12月にいたっても,その需要戸数は工部大学校,駅逓寮などわずかに19戸にすぎず,また市民から徴収することになっていた街灯点火料に対しても苦情が続出して,当初のガス事業の経営は容易なものでなかった。しかしその後東京府庁内に瓦斯(ガス)局ができ,事業の拡張と料金の値下げを図ったので,79年には,需要者88戸,火口数1192個となり,さらに81年には街灯4000基をふやし,需要者数も222戸にふえた。そして85年には瓦斯局のはじめからガス事業の責任者としてこの発展につくした渋沢栄一を社長とする東京瓦斯(ガス)が成立し,事業は同社に引き継がれた。86年の1戸当りの灯数19灯以上が1900年には5灯以下に減っていることは,一般家庭の需要がようやくふえつつあったことを示している。しかし大勢は,明治末期においても一般家庭でガス灯を使用するものは上流の一部に限られ,それも電灯とガス灯を混用するとか,それらと石油ランプとの混用家庭が多かった。この間ガス灯自体にも進歩があり,はじめはマントルがなく裸火であったから光力が安定せず能率が悪かったが,91年ころから白熱マントルが使われるようになった。さらに1903年ころから下向き白熱マントルが輸入されて,光度が著しく増加し,光色もよくなったといわれる。しかし1887年,日本において電灯が初めて東京で一般需要者への送電を始め,明治末年には一応の配電体制が確立されるに及び,ガス灯はすたれていった。
執筆者:宮本 馨太郎
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ガスの燃焼で発する光を利用する灯火。1798年にイギリス人ウィリアム・マードックによって実用化された。その後1812年にロンドンで、19年にはパリでガス事業が開始され、世界の大都市にガス灯が普及していった。日本では1872年(明治5)にフランス人アンリ・プレグランの設計・監督により、横浜の馬車道本通り―大江橋間で初めて使用され、東京では74年に浜崎町にガス発生所が設けられて京橋―金杉橋間にガス街灯が点火された。夕刻、点灯夫が点火して回り、翌朝また消灯に回った。屋内灯としては、97年ごろから一般家庭の需要も漸増したが、使用者は上流家庭の一部に限られ、それも電灯や石油ランプとの混用であった。この間白熱マントルの使用など光質の改良も行われたが、灯火としては電灯に対抗できず、やがて廃れた。
[山内まみ]
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日本最初のガス灯は,横浜の高島嘉右衛門らがフランス人技師H.プレグランを招いて設計・起工し,1872年(明治5)9月横浜の馬車道・本町通りに十数基を点火し,年末には300基に達したという。東京では銀座煉瓦街建設にともなって,74~75年頃に京橋―金杉橋間,本石町―馬喰町間の街路に設置し,85年に東京瓦斯が継承。屋内灯としては鹿鳴館(ろくめいかん)などが設置したが普及しなかった。明治末期から電灯にかわっていった。
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出典 旺文社日本史事典 三訂版旺文社日本史事典 三訂版について 情報
…ヨーロッパ各都市はこれにならって,おおむね17世紀には街灯が設置された。1803年にはガス灯が劇場照明に利用され,07年に街灯に用いられた。 日本では,臨時的なものは古くから庭園や神社で篝火(かがりび)が焚かれ,恒常的なものとしては,奈良東大寺の聖武天皇時代の灯籠が現存している。…
…朝食をパンとティーですます習慣はイギリスでは18世紀初めごろからみられたが,アフタヌーン・ティーは18世紀中ごろから貴族階級の間で始まった。ティー・タイムが一般に広がるのは1840年代以降のことで,それが必要になったのは,遠方への通勤やガス灯の普及で夕食の時間が遅くなったためである。 緑茶文化が日本の茶の湯文化におけるようにわび,さび的精神文化へ昇華したのに対し,紅茶文化は物質文化ないし資本主義的経済発展を促したところに特徴がある。…
…舞台上での蠟燭,カンテラの使用は,しばしば劇場火災を引き起こしたので,法令では禁止されることが多かった。 明治になると,石油ランプ,ガス灯,アーク灯などの新しい照明器具が舶来して,劇場技術としての照明は急速な変化を示す。ガス灯は横浜で1873年ゲーテ座,74年に湊座にその灯を点じ,東京では78年の新富座再建で劇場の外はもちろん場内270ヵ所にガス灯がともり,8月には夜芝居が興行された。…
※「ガス灯」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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