幕末、越後(えちご)(新潟県)長岡藩家老上席、軍事総督。文政(ぶんせい)10年正月、元日長岡城下同心町で、沙門(さもん)良寛(りょうかん)とも親交のあった勘定頭・河井代右衛門秋紀(あきのり)の長男に生まれる。字(あざな)を秋義(あきよし)、蒼竜窟(そうりゅうくつ)と号した。17歳元服の翌年、鶏を裂き、王陽明(おうようめい)を祀(まつ)って立志を誓った。生来意志が強く、長じて剣を鬼頭六左衛門(きとうろくざえもん)に、文学を藩儒山田愛之助らに学んだ。1853年(嘉永6)江戸に遊学し、斎藤拙堂(せつどう)の門に学び、ついで古賀茶渓(こがさけい)(古賀謹一郎)の久敬舎に入り、一時、佐久間象山(さくましょうざん)にも師事して海外の事情を学んだ。翌年評定方(ひょうじょうかた)随役に抜擢(ばってき)されたが上司とあわず、まもなく辞し、再度江戸に出た。1859年(安政6)備中(びっちゅう)(岡山県)松山の山田方谷(ほうこく)に学び、長崎に遊んで見聞を広め、翌年夏帰国した。1865年(慶応1)7月外様吟味役(とざまぎんみやく)、10月郡奉行(こおりぶぎょう)、翌年11月町奉行も兼任。さらに年寄役に累進。この前後、藩制の大改革を断行した。1868年(慶応4)家老上席となり、6月軍事総督として戊辰(ぼしん)戦争における武装中立策を推進したが、政府軍が認めないためこれと激戦。長岡城の攻防で重傷を負い8月16日会津塩沢で没した。行年42歳。
[剣持利夫]
『今泉鐸次郎著『河井継之助伝』復刻版(1980・象山社)』
江戸末期の越後長岡藩士で,戊辰戦争のとき新政府軍に頑強に抵抗した。名は秋義,号は蒼竜窟,継之助は通称。藩の上士の家に生まれて20代で江戸に遊学し,斎藤拙堂や古賀謹堂に儒学を学んだ。またペリー来航後の30代には,西日本に足をのばして備中松山の山田方谷に師事し,さらに長崎にも遊んで見聞を広めた。判断力,行動力ともに独特の強烈さをもつ人格が形成される。1864年(元治1)の郡奉行から68年の家老に至る藩の要職を歴任したが,彼の特異性が最もよく発揮されたのは,戊辰戦争に際しての中立主義である。継之助は上京中だった藩主を連れ帰ると同時に外商から最新式の銃砲を大量に購入し,藩兵1000余を藩境に配置した。新政府,旧幕のどちらにも荷担しない局外中立を宣言する。むろん新政府軍はこれを認めず攻めこみ,長岡城占領,奪還,再占領の激戦となった。中立主義のために城下町が壊滅するという珍しい戦争だった。継之助もこの戦闘で傷を負って死ぬ。日記《塵壺》がある。
執筆者:松浦 玲
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(井上勲)
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1827.1.1~68.8.16
幕末・維新期の越後国長岡藩士。父は代右衛門秋紀。名は秋義。江戸に出て佐久間象山(しょうざん)・古賀謹堂に学び,長崎に遊学して開国論者となる。郡奉行・町奉行から執政に進み,その間藩を説いて長州再征参加を中止させ,また財政改革に努めた。1867年(慶応3)藩主牧野忠訓(ただくに)に従って京に入り,大政奉還に反対。戊辰戦争開始後に長岡に帰り,藩を中立の立場にたたせた。北陸征討軍が迫ると,5月小千谷(おぢや)に東山道軍軍監岩村高俊を訪ね中立の趣旨を弁明するがいれられず,官軍に抗戦を決意。陥落した長岡城を奇襲により奪還するが,このおりの傷がもとで,会津へ赴く途中会津藩領大沼郡塩沢村で没。旅日記「塵壺(ちりつぼ)」。
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…新政府軍は,動向に疑惑をもたれた長岡藩めざして進撃し,5月に柏崎に本営を,小千谷と関原に会議所を,高田に民政局を設立した。河井継之助に指導された長岡藩は,奥羽越列藩同盟へ走って頑強に抗戦し,長岡城の争奪戦を繰り広げた。戉辰戦争中,もっとも激しい焦土戦は,8月11日,村上藩の落城で終息した。…
※「河井継之助」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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