法恩寺(読み)ほうおんじ

日本歴史地名大系 「法恩寺」の解説

法恩寺
ほうおんじ

[現在地名]墨田区太平一丁目

大横おおよこ川東岸、法恩寺橋北東にある。平河山と号し、日蓮宗本尊釈迦如来。起立は貞和(一三四五―五〇)ともいわれるが、長禄元年(一四五七)本住院日住を開山とし、太田持資開基として建立されたと伝える(寺社備考)。元来は本住ほんじゆう院または本住坊と号し、平河ひらかわ(現千代田区)にあった(「江戸名所図会」など)。また「関八州古戦録」巻六(武州江戸城来由付太田新六郎康資兄弟ノ事)、「太田家譜」「太田家記」などによると、太田道灌の孫資高が父資康の十三回忌追悼のため、大永四年(一五二四)日住を開祖として下平河に建立。法恩寺の寺号は資康の法名法恩斎に由来するという。大永四年一〇月九日、北条氏綱は太田資高に対し三田地頭方を本住坊に寺領として寄進し、寺内への陣衆の不入と諸役の停止を認めている(「北条氏綱判物」法恩寺文書)。天文八年(一五三九)五月二八日には氏綱により資高の弟資貞に対し知行地の陣夫銭が定められるが、三田のうち本住坊の寺領は免除されていた(「北条氏綱判物」同文書)


法恩寺
ほうおんじ

[現在地名]越生町越生

大高取おおたかとり山の東麓、山裾寄りに立地する。松渓山と号し、真言宗智山派。本尊大日如来。もと報恩寺と記した。武蔵八王子方面から上野国へ至る古街道に面し、門前宿駅名残をとどめている。「報恩寺年譜」によれば、天平一〇年(七三八)東国遊行中の行基が創建し、自ら大日如来・釈迦如来・阿弥陀如来薬師如来観音菩薩の五体を造立して本尊としたという。その後数次の改修を経た大伽藍の寺であったが、応保(一一六一―六三)頃には荒廃していた。文治二年(一一八六)児玉党一族の倉田孫四郎基行夫妻(出家して瑞光坊・妙泉尼と号した)寺山と称された寺跡に草庵を構えて居住し、源頼朝に寺地再興を願出た。建久元年(一一九〇)頼朝から八町四方の寺地と吾那あがな領内の地三〇〇町の田を寄進され、同三年基行の甥越生次郎家行が堂塔伽藍を再建し、山号を持光山と号し、法相宗から天台宗へ改めたという。


法恩寺
ほうおんじ

[現在地名]東城町川西

川西かわにし北部の比奈ひなの山腹にある。猿渡山密厳院と号し、真言宗御室派。本尊は阿弥陀如来。空海の開創と伝え、その年代を旧版「広島県史」などは大同二年(八〇七)、旧版「広島県史」所収の正徳の調書、「国郡志下調書出帳」は天長一〇年(八三三)とする。同書出帳には「承和年中讃州多度郡善通寺より良伝法印弟子智海両僧共住職其節は善通寺末寺に有之候処天安二寅九月伽藍焼失、それよりやや暫く無住にて寛平九巳年宥快法印再建立、永正九申正月二十六日炎焼」とあるが、旧版「広島県史」には仁寿三年(八五三)春焼失したと伝え、貞観一二年(八七〇)江州坂本さかもと(現滋賀県大津市)の良意が中興したとある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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