歌舞伎狂言の一系統。明治10年代以降9世市川団十郎を中心に行われた歌舞伎の革新運動のなかで,旧来の荒唐無稽な時代物でなく,史実によって脚色し時代考証による扮装・演出に重きをおいた時代物の作品群をいう。団十郎のこの運動には1872年(明治5)に新劇場を新富町に建設して旧制度の打破を試みた興行師の12世守田勘弥,作者界の第一人者河竹黙阿弥らが協力した。〈活歴〉の語は,78年10月黙阿弥作の《二張弓千種重藤》が上演された際,〈時代物は活きたる歴史〉でなくてはならぬと依田学海らが述べたのに対し,《かなよみ新聞》で仮名垣魯文が〈活歴史〉と評したのにはじまるという。83年1月には依田学海,小中村清矩,関根只誠,川辺御楯,岡本半渓ら学者,劇通,画家,有職故実家らを集めて〈求古会〉をつくり,有職故実の指導をうけて活歴劇を強力に推進しようとした。こうした団十郎らの熱意とは裏腹に,一般観客の評判は悪く,新聞からも批判され知識人の支持もしだいに失い,明治20年代後半には終焉した。現在も演ぜられる活歴物あるいは活歴的演出の作品には《増補桃山譚》(1873),《北条九代名家功》(1884)等の黙阿弥作品,《春日局》(1891),《大森彦七》(1897)などの福地桜痴作品があげられる。
→演劇改良運動
執筆者:林 京平
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9世市川団十郎によって行われた時代物の一種。1878年(明治11)演劇改良を主張する依田学海(よだがっかい)らの発言「(時代物は)活きたる歴史ならざるべからず」を仮名垣魯文(かながきろぶん)が「活歴」と揶揄(やゆ)したことに由来。従来の史実無視・荒唐無稽(こうとうむけい)を廃し,時代考証の正確を期し,歴史上の人物を実名でだすなどの新風をもたらしたが,一般に人気は低く,明治20年代になって9世の活歴熱は急速にさめた。おもな作者として河竹黙阿弥がかかわる。
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…従来の歌舞伎の特徴であった非合理的な筋立てと卑俗な内容をやめ,誇張された様式的演技術を廃し,高尚趣味と写実的・合理的な演技術を用いて,新時代にふさわしい演劇を創り出そうとした。その結果生まれたのが,故実を調べ,史実に忠実であろうとした新史劇の〈活歴物〉と,内容の高尚な能に取材した新舞踊劇であった。〈活歴〉とは〈活きた歴史〉の意味で,かつてのような類型化された人物創造を廃し,性格や心理描写に力を入れた。…
…当代の市井町人社会を題材とする世話物に対して,公卿や武家の社会を扱うが,時代物でも世話の場面が含まれるのが通例。近代以降に創作された史劇である活歴物も含まれる。時代物のうち,とくに王朝時代の公卿の社会を扱った狂言を王朝物(王代物)と呼んで区別することもある。…
…王朝物や時代物の多くの作品がそれであり,例えば,《勧進帳》や《菅原伝授手習鑑(てならいかがみ)》などは偉大なるアナクロニズムの産物であり,弁慶や牛若丸といった登場人物たちは大いなる〈神話化〉を遂げているのである。これに対して,明治以降には〈活歴劇(活歴物)〉(〈活(い)きた歴史〉そのままの劇の意)の運動が起こった。これは9世市川団十郎や河竹黙阿弥を中心にして,それに福地桜痴や依田学海らが加わって進められたが,史実に忠実のあまり,芸術的完成度の点では満足すべきものではなかった。…
※「活歴物」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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