源光寺(読み)げんこうじ

日本歴史地名大系 「源光寺」の解説

源光寺
げんこうじ

[現在地名]堺市寺地町東四丁

本成ほんじよう寺の南にあり、浄土真宗本願寺派、山号光明山、本尊阿弥陀如来。正和五年(一三一六)大聖院祐源が本願寺三世覚如に帰依して開創(「源光寺縁起」堺市史史料)。祐源は足利義氏の四男と称し、忍性に師事して四天王寺(現天王寺区)勝鬘しようまん院別当となり、のち堺に来て念仏布教をしたという。延元元年(一三三六)足利尊氏が当寺の由来を聞いて寺領を寄進したと伝える(同縁起)


源光寺
げんこうじ

[現在地名]大淀区豊崎二丁目

浄土宗、山号清浄瑠璃山念仏三昧院、本尊は絹本著色阿弥陀如来来迎図(府指定文化財)大坂北方の霊場といわれた(西成郡史)。寺伝によると、神亀元年(七二四)行基が大橋勧進のため当地域へ来たとき、川辺かわべ郡の稲野長者と西成にしなり郡の入江長者の両息女が疫病重体であったのでこれを救ったという。そこで両長者は行基に帰依して八町四方の地を寄進し、行基は天平一九年(七四七)聖武天皇の勅願により一寺を開創、平生寺と号したのが始まりと伝える。その後寺運衰微したが、天治元年(一一二四)京都大原来迎らいこう院の良忍が融通念仏布教のため中興した。


源光寺
げんこうじ

[現在地名]水俣市浜町一丁目

近世にははま村の水俣川河岸にあったが、現在は河川改修で市街地になっている。恵日山と号し、浄土真宗本願寺派、本尊阿弥陀如来。開祖空善はもと中村将監正師といい、加藤清正の縁類で水俣城代を勤めた。加藤忠広の改易後、真宗の僧となり薩摩出水いずみ高尾野たかおの(現鹿児島県出水郡高尾野町)にいたが、島津氏の真宗禁制の難を逃れて水俣に草庵を結び、その後正保二年(一六四五)源光寺の寺号を受けたという。


源光寺
げんこうじ

[現在地名]伊万里市南波多町笠椎字井手口

笠椎かさじい川が東部古川ふるこより西流、笠椎から北西に流れて小麦原こむぎばる徳須恵とくすえ川に合流する。その笠椎の屈曲点左岸にある。山号は普照山。浄土真宗本願寺派。本尊は阿弥陀如来。

波多三河守親の子政(宮太郎)は、父が流刑にされ波多家没落の後、笠椎に移住。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

事典・日本の観光資源 「源光寺」の解説

源光寺

(大阪府大阪市東淀川区)
私が選んだ東淀川100選指定の観光名所。

出典 日外アソシエーツ「事典・日本の観光資源」事典・日本の観光資源について 情報

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