高山樗牛(ちょぎゅう)の歴史小説。1894年(明治27)4月から5月まで『読売新聞』連載。95年9月春陽堂刊。六波羅(ろくはら)一の豪の者斎藤時頼(ときより)は、清盛(きよもり)以下平家一門の花見の饗宴(きょうえん)で「春鶯囀(しゅんのうでん)」を舞う横笛を見そめた。だがその恋も家門の恥と一蹴(いっしゅう)された時頼は、維盛(これもり)の後見を願う重盛(しげもり)の頼みも振り切って、仏門に入った。真情を知った横笛は、嵯峨野(さがの)に時頼を訪ねたがつれなくされ、消息を断った。巡礼中、恋塚の主を横笛と知って回向(えこう)を済ませた時頼は、平家一門が西海に果てるのにあわせ、横笛の後を追うように自害した。『平家物語』に材を得、擬古文によったこの悲恋物語は、『読売新聞』懸賞歴史小説首席(二等)入選作で、大学生某の匿名で発表され、話題になった。
[小野寺凡]
『『滝口入道』(岩波文庫・旺文社文庫・新潮文庫)』
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…その子宗貞は維盛の子の六代を守って嵯峨にかくれたが,のち出家した。また平氏では平重盛に仕えた滝口入道として著名な斎藤時頼がいる。(2)鎌倉・室町両幕府の奉行人を務めた斎藤氏。…
…《平家物語》巻十〈横笛〉に語られる悲恋物語の主人公。屋島を脱出した平維盛が,高野山の滝口入道を訪ねて出家し,また彼を善知識として那智沖で入水するが,滝口入道が登場する初めに,その発心由来譚として語られるのが〈横笛〉の章段である。平重盛(維盛の父)に仕えた斎藤滝口時頼は建礼門院の雑仕(ぞうし)横笛を愛したが,横笛の身分が低いゆえに父茂頼のいさめにあい,19歳で出家して嵯峨の往生院に入った。…
…フシ物。平維盛(これもり)は,都の妻子が気がかりでひそかに屋島の戦線を離れ,高野山に滝口入道(滝口・横笛)を訪ねた。この僧はもと館に仕えた武士で,若いころ横笛という女と恋をした。…
…第二高等中学(後の第二高等学校)を経て1896年東京帝大文科大学哲学科を卒業。94年在学中《読売新聞》の懸賞小説に《平家物語》に材を取った悲恋物語《滝口入道》が入選し注目されたが,樗牛自身は学問の活性化をめざしてエッセイストの道を選んだ。96年第二高等学校教授となったが,翌年辞任して博文館に入社,雑誌《太陽》の主筆として,鋭い批評文を精力的に書いた。…
※「滝口入道」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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