真理を知らないという無知。サンスクリットでアビドヤーavidyā。原始仏教においては〈四諦の理を,あるいは縁起の理を知らないこと〉が無明であると定義される。大乗においては〈真如の理を知らない〉あるいは〈有を無と見,無を有と見る〉と定義される。貪(とん)・瞋(しん)・癡(ち)の三大煩悩のうちの癡に相当し,貪と瞋とがいわば情的な煩悩であるのに対して無明(=癡)は知的な煩悩であり,煩悩のうち最も根本的な煩悩である。無明→行→識→(中略)→生→老→死と継起する十二因縁においてはその最初に位置し,われわれが生死輪廻する根本原因がこの無明である。したがってこの無明を滅することによって生死の苦から解脱することが仏教の最終目的である。大乗では無明は所知障(知るべき対象を知ることを妨げる障害)であり,この所知障を滅すれば,真如の理を悟る知慧,すなわち菩提(ぼだい)を得ると説く。
執筆者:横山 紘一
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
仏教の術語。サンスクリット語アビドヤーavidyā、パーリ語アビッジャーavijjāの訳語。三法印(さんぼういん)・四諦(したい)など仏教の真理に対する無知をいい、癡(ち)(モーハmoha)と同義語とみなされる。原始仏教経典では三漏(さんろ)、四瀑流(しぼる)、十結(じっけつ)などのおのおのの一つに数えられる煩悩(ぼんのう)であり、また十二縁起(えんぎ)においては人間存在の苦の因としてまず最初にあげられるので、根本的な煩悩と解されている。後の部派仏教のいくつかの有力な部派や、大乗仏教の瑜伽行(ゆがぎょう)派(唯識(ゆいしき)学派)では、精神現象を心の本体(心王(しんのう))と多くの心の作用(心所(しんじょ))の結び付き(相応(そうおう))によって説明するが、ここでも無明は根本的な煩悩の一心所とされている。すなわち、パーリ上座部では共一切不善心(ぐいっさいふぜんしん)心所、有部では大煩悩地法(だいぼんのうじほう)、瑜伽行派では根本煩悩心所のおのおの一つに数えられ、染汚(せんお)の(煩悩で汚れた)心が生ずるときはかならず存在する煩悩とみなされた。部派仏教の論書『倶舎論(くしゃろん)』に「無明は四諦、仏・法・僧の三宝、善悪の業因(ごういん)、業果(ごうか)を了知しないことである」とまとめられていることから、無明とは仏教の真理に対する無知であることが改めて理解される。
[加藤純章]
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…釈尊は当時のバラモン教の有我説に反対して無我を主張したが,その根拠として〈十二支縁起(十二因縁)〉説を唱えた。すなわち無明を究極原因とし,生・老死を最終結果とする十二の因果の連続体がわれわれ有情(うじよう)のあり方であり,そこにはなんら固定的・実体的な自我(アートマン)は存在しないという。原始仏教いらい説かれるこの十二支縁起を〈業感縁起〉といい,これと,大乗の瑜伽行唯識派の〈阿頼耶識縁起〉,如来蔵思想の〈如来蔵縁起〉,華厳宗の〈法界縁起〉とをあわせて四種縁起とよぶことがある。…
…仏教でも古い文献には,〈解脱〉の代りに〈不死〉という言葉がしばしば用いられている。 仏教では,われわれの輪廻的生存を〈苦〉そのものであるとし,さかのぼってその最終的原因を〈渇愛(かつあい)(トゥリシュナーtṛṣṇā)〉ないし〈無明(むみよう)(アビドゥヤーavidyā)〉と見る。したがって,それを滅ぼせば輪廻的生存はやみ,〈苦〉もなくなることになる。…
…十二支縁起あるいは十二縁起とも呼ぶ。生老病死という四苦で言い表される我々苦的存在は,無明ではじまり老死で終わる次のような十二種の契機によって成立するとみる因果法則である。無明(むみよう)→行(ぎよう)→識(しき)→名色(みようしき)→六処→触(そく)→受→愛→取→有(う)→生(しよう)→老死。…
…(2)集諦(じつたい) この苦を集め起こすもの,つまり苦の原因としては,煩悩と総称される心のけがれ(むさぼり,にくしみ,無知など)がある。無知とは無常,無我といった真実を知らないこと(無明(むみよう))で,ときにはこれが悪の根源とみなされる。欲望や執着はすべてこの無知の結果おこるとみるのである。…
…仏教の影響を強く受けたベーダーンタ学派のガウダパーダの場合には,アートマン,心,あるいは思考のもつ〈神秘的な力〉〈魔術的幻影〉を意味する。不二一元論学派の開祖シャンカラの場合には,〈詐欺〉〈神の神秘的な,人を眩(くら)ます幻力〉〈魔術〉などを意味するにすぎないが,後継者たちの場合にはしばしば無明の同義語で,宇宙の質料因と考えられている。その哲学はマーヤー論といわれ,マーヤーは有とも非有とも定義できないとされる。…
※「無明」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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