日本歴史地名大系 「熊本城跡」の解説
熊本城跡
くまもとじようあと
熊本市の中央
熊本城の起りは、応仁―文明(一四六七―八七)の頃出田秀信が近世の熊本城の東部に築城した千葉城に始まる。その後、大永―享禄年間(一五二一―三二)鹿子木親員(寂心)が出田氏に代わって入城したが、規模が小さいため、茶臼山の西南麓に新たに隈本古城を築いたという。天文年間(一五三二―五五)中頃、豊後の大友宗麟により古城落城、代わって城親房が入城、孫の親政の時豊臣秀吉の軍に降った。秀吉は初め佐々成政に肥後一国を与え、成政はこの城に入城したが、天正一六年(一五八八)成政は国人一揆の責任を問われて失脚、その後は隈本城番として浅野長政、さらに加藤清正が入城する。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報