狂言の中でうたわれる謡の総称。狂言は,能に比べると相対的には写実的なせりふ劇だが,筋の展開上,歌謡を挿入することも多く,現行曲の60%以上は,なんらかの形で歌舞の要素を含む。また,狂言師の演技は,せりふやしぐさの稽古から入るのではなく,謡によって声の訓練,舞によって体の動きの基礎がつくられる。狂言謡は多種多様にわたるが,劇的用途の上から劇中歌と特定狂言謡とに分けられる。劇中歌とは,狂言の演目から独立している小曲で,複数の演目に自在に流用される謡をさす。これには,酒宴の余興などに謡い舞われる小舞謡(こまいうたい)と称する小品舞謡曲と,人物の登退場時や酌をするときの小謡(こうたい)と称する短い謡の一節とがある。小舞謡は,現在,大蔵流に59番,和泉流に71番あり,《海人(あま)》《鵜飼》《景清》《泰山府君》《道明寺》《弱法師(よろぼし)》など能の謡曲出自のもの,《暁(あかつき)の明星》《宇治の晒》《海道下り》《七つに成子》《番匠屋》《府中》《柳の下》《よしの葉》《鎌倉》《柴垣》《十七八》《住吉》《兎》《瓢簞》《鶉舞》など,中近世の流行歌謡出自ないし狂言独自の創作歌謡がある。小謡は,《ざざんざ》《一二三四五》《酒はもと薬なり》などがよく用いられるが,これにも〈雲かと見えて八重一重〉という《鞍馬天狗》の一節,〈兎も波を走るか〉という《竹生(ちくぶ)島》の一節など謡曲出自のものがある。劇中歌は流用性があると同時に,たとえば狂言《棒縛》では,大蔵流なら《七つに成子》と《十七八》,和泉流なら《七つ子》と《暁の明星》を舞うというように,ある程度まで演出が固定している面もある。
これに対し,特定狂言謡とは,一定の狂言の演目でのみ,その筋と主題に即して謡われる謡をさす。そのうち,狂言《花子(はなご)》《金岡》《節分》《若菜》《御茶の水》などで謡われる謡は,《閑吟集》その他の中近世歌謡出自の流行歌謡を採り入れた独立の小曲とみられるが,それらを集積して一番の狂言が構成されており,筋と切り離せなくなっているもの。また《名取川》《宗論》《川上》《伊文字》《茶壺》などの狂言で謡われる謡は,せりふの一部が謡と化したような効果をもっている。さらに《楽阿弥》《通円》《蟬》《蛸》などの舞狂言は,一曲の構成自体が夢幻能のパロディといえるものなので,〈次第〉〈一セイ〉〈道行〉〈待謡〉〈ノリ地〉などと呼べる謡の小段をもっている。こうした能がかりの構成による謡は,福神狂言や鬼狂言,山伏狂言にも見られる。
以上,劇的用途の面からだけみてきたが,つぎにこれらを音楽的特徴の面から分けてみる。狂言謡も能の謡と同じく,ツヨ吟・ヨワ吟の二つの吟型,拍子合(あい)(平ノリ・中ノリ・大ノリ)・拍子不合(あわず)に二大別されるリズム型,とくにヨワ吟の場合,上音・中音・下音を中心とし,上音より高い音に上ウキ・クリ音・甲グリ,下音より低い音に呂音,という基本的音階をもっている。しかし,それらに加えて狂言ノリ,小歌,イロ詞など狂言固有の楽型をもった謡も多い。狂言ノリは,平ノリ・中ノリに類似し,能の近古式地拍子に似ているといわれる。《暁の明星》《宇治の晒》《七つに成子》《番匠屋》《府中》《柳の下》《よしの葉》など,狂言謡の中で最もポピュラーで,小舞謡の大部分を占めるのが狂言ノリである。狂言《末広がり》《三本柱》などで謡われる〈囃子物〉も狂言ノリのリズムと見ることができる。小歌は《鎌倉》《柴垣》《住吉》《十七八》などの小舞謡および狂言《花子》《金岡》《御茶の水》などの中の謡をさし,ユリと称する独特のバイブレーションを多用し,優美繊巧な旋律をもつ拍子不合の謡。イロ詞は《兎》《鶉舞》などの小舞謡および狂言《茶壺》《地蔵舞》《筑紫奥》などの中の謡をさし,コトバとフシとの中間的な謡い方をする。そのほか狂言固有の謡として,《靱猿(うつぼざる)》の〈猿歌〉,《鉢叩(はちたたき)》の〈鉢叩歌〉,《御田》の〈田植歌〉,座頭狂言に頻出する〈平家〉など,民俗歌謡や他芸能出自の謡がある。なお,以上の狂言謡を通じて,特定狂言謡には狂言の曲趣に応じてはやしの伴奏がつくが,小舞謡の類にははやしは伴わない。
執筆者:羽田 昶
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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