江戸初期の画家。肥前国出身。狩野山楽の養子となり,山楽の影響を受けながら,しばしば奇矯とも評される独自の画風を形成した。蛇足軒,桃源子など一風変わった文人風の雅号があるが,これは山雪の学究的な性向の一面を示すものである。ちなみに子の永納がのちに上梓した画人伝《本朝画史》は,山雪の草稿をもとに編纂されたものである。また,林羅山の依頼によって《歴世大儒像》(1632。東京国立博物館,筑波大学付属図書館)を制作したり,《藤原惺窩閑居図》(1639。根津美術館)を描くなど,儒学者との交遊も知られている。しかしこれらの水墨画作品が多少窮屈な印象を受けるのに対し,本領は金碧の濃彩画にある。妙心寺天球院障壁画(1631)の理知的で幾何学的な構成,旧妙心寺天祥院襖《老梅図》(メトロポリタン美術館)の異様な巨樹表現などに,彼の画風の特徴は遺憾なく発揮されている。また,代表作《雪汀水禽図屛風》は,金銀をさまざまに駆使した工芸的手法によりながら,静謐で詩的な空間をつくりだしている。寛永期の感性を代表する最も重要な画家の一人である。
執筆者:奥平 俊六
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桃山末期から江戸初期の京(きょう)狩野派を代表する画人。初め狩野山楽の門人であったが、のちにその娘婿となり、家督を相続した。名は初め彦三、のちに平四郎、また縫殿助(ぬいのすけ)と称した。山雪のほかに桃源子、蛇足軒(だそくけん)の号がある。山楽の装飾的画風を受け継ぎつつも、これをいっそう徹底させ、理知的で明快な画面構成に、ときに奇矯とも評される独自の造形性をみせている。妙心寺天球院障壁画(しょうへきが)制作(1631)に指導的役割を果たしたほか、代表作に『雪汀水禽図屏風(せっていすいきんびょうぶ)』、旧天祥院襖絵(ふすまえ)『老梅図』(ニューヨーク、メトロポリタン美術館)などがある。また、わが国最初の本格的画伝『本朝画史』は、山雪の草稿をその息子永納(えいのう)(1634―1700)がまとめたもので、画業とは別に山雪の特筆すべき業績である。慶安(けいあん)4年3月12日没。泉涌寺(せんにゅうじ)に葬られた。
[榊原 悟]
『土居次義著『日本の美術172 山楽と山雪』(1980・至文堂)』
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