動物の疾病の治療および予防を職業とする者をいう。一般には獣医ともよばれる。獣医師法(昭和24年法律第186号)の定めに従い、獣医師国家試験に合格し、農林水産大臣交付の獣医師免許を取得することが必要である。
[竹内利美]
日本では古く馬薬師(うまくすし)、馬医(ばい)といい、また広く伯楽(はくらく)ともよばれた。もっぱら馬の体質診断・治療にあたってきたが、そこには医療と呪術祈祷(じゅじゅつきとう)とが混交した形で、特殊な技法が伝存されてきた。伯楽は中国漢代の「馬相見」の達人の名にちなむといい、あるいは馬の守護星の名によるなどともいうが明らかではない。すでに『延喜式(えんぎしき)』(927年撰(せん))には官馬を扱う馬医と馬薬の記事があり、鎌倉期には『馬医草紙』(1267年奥書)という馬医の秘伝書などもつくられていた。そこでは医療よりむしろ呪術的要素が濃く、その祭神、祭文、祭具などの記事も詳しい。また『療馬六鑑集』(1652年)などはその伝統を受け継ぐ馬医の伝来書で、馬相見と医療、祈祷との混交した特殊な技法の伝流を示している。こうした伝統を受け継ぐ伯楽(馬医)は明治期までは馬産地に残存して、村々の馬牛の回診にあたっていた。多くは特定の家筋の者で、血取り、馬灸(ばきゅう)(血やい)、馬つくろいなどがおもな施療であった。この「馬つくろい」のために村々には一定の場所が設けられて、年々伯楽の巡回を迎え、またそれを契機に馬頭観音(ばとうかんのん)講、馬無尽講などの信仰、親睦(しんぼく)、共済の仲間も広くつくられていた。なお、新しい獣医の活動は、明治以後の畜産制度のもとでまったく別個に始まっている。
[竹内利美]
明治時代になって、広く西洋文化を吸収し、各種事業の近代化をはかるなかで、明治政府は1874年(明治7)、すでに発足していた内藤新宿(ないとうしんじゅく)(東京都新宿区)の農事試験場内に農事修学場の併設を進めた。1876年、農事修学場に獣医科生29人が入学、イギリスの獣医学教師マックブライドJohn Adams McBride(1841―1889)の講義を受けた。1878年農事修学場は東京・駒場に移転、明治天皇の来臨の下、駒場農学校(現東京大学農学部)として開校し、ドイツよりヤンソンJohannes Ludwig Janson(1849―1914)が招かれ、獣医学教育は本格化した。一方、獣医師制度は1885年、太政官(だじょうかん)布告により、獣医免許規則が公布され、この規則によって免許を受けた獣医師だけが、家畜の診療を行えることになった。
[本好茂一]
第二次世界大戦後、獣医学教育は4年生大学で行われてきたが、1977年(昭和52)の獣医師法改正により、学部4年、修士2年の6年となった。さらに、1983年の学校教育法第55条(現在は87条)の改正により、学部一貫6年制に変更された。その課程を修め卒業したものに獣医師国家試験の受験資格が与えられる。
1992年(平成4)獣医師法の一部改正では、動物の診療以外に、獣医師の任務として、飼育動物に関する保健衛生の指導、畜産業の発展、公衆衛生の向上に寄与することが定められた。この改正と同時に制定された獣医療法(平成4年法律第46号)では、飼育動物の診療施設の開設および管理に関し、診療施設の構造整備、動物の収容設備、放射線の防護措置などの体制の整備を図ることが定められている。これらの法律改正により、獣医師の任務も従来の産業動物中心のものから、公衆衛生(養殖漁業による魚類を含む)やコンパニオン・アニマル(伴侶(はんりょ)動物)へもシフトしてきた。さらに野生鳥獣の保護と繁殖、医薬品の開発へと活動の範囲が拡大された。
1999年には、狂犬病予防法に基づき検疫対象動物にネコ、アライグマ、キツネ、スカンクが加えられ、エボラ出血熱、マールブルグ熱の感染予防のため感染症予防・医療法(感染症の予防及び感染症の患者に対する医療に関する法律)によりサルの検疫が義務付けられるなど、世界的な脅威となった人獣共通感染症に対する獣医師の役割が増した。
さらに1999年、動物の愛護及び管理に関する法律(昭和48年法律第105号)が改正された。同改正法では基本原則に「動物は命あるもの」と明文化され、人と動物の共生の必要性をうたっている。動物の殺傷、虐待に対して罰則が強化され、動物の適正飼養、管理について、とくに動物取扱業(ペットショップなど)を開業する際には都道府県知事等への届出を義務とした。地方公共団体はペットショップ等への立入検査を行うために、獣医師等による「動物愛護担当職員」を置くことができることになった。
2002年には身体障害者補助犬法(平成14年法律第49号)が成立。補助犬(盲導犬、介助犬および聴導犬)の育成、訓練、保健衛生において、獣医師の指導と連携が規定されている。
1762年、フランス・リヨン医学校から派生した最古の獣医学教育が創立して以来、今日では世界レベルの情報交換や相互連携を深めるため、世界獣医学会主催による世界獣医学大会(WVC)が定期的に開催されている。1995年天皇・皇后の臨席のもと、第25回世界獣医学大会がアジアで初めて横浜で開催された。海外86か国約2000人、日本国内9700人の参加があった。
[本好茂一]
獣医師の職域は広い。飼育動物の診療・予防のほかにも、畜産指導、検疫業務、飼料や食肉などの衛生検査、家畜伝染病や人獣共通感染症への対策、動物園動物や競走馬、さらに野生動物を対象とする業務、自然保護対策など、社会性の高いものである。
近年、コンパニオン・アニマルと人とのかかわり方が多様化している。盲導犬、介助犬および聴導犬などをはじめ、動物介在活動として、養護老人ホームなどへの訓練資格を得たイヌやネコなどの訪問活動、また各種の障害をもつ人に対しての乗馬活動も行われるようになった。これらの動物の健康管理、安全対策など、獣医師のボランティア活動が盛んになりつつある。湾岸戦争、タンカー事故に伴う野鳥の救助、阪神・淡路大震災(1995年)で飼主を失った、イヌやネコの保護と次の飼主探しなども、ボランティアの獣医師活動によって行われた。
1991年東京都保谷市(現、西東京市)が、園や小学校での動物飼育への指導と傷病動物の治療のための学校動物飼育支援事業を、地域獣医師会に委託した。2008年時点で、獣医師会によるボランティアも含めて、こうした支援は41都道府県にわたる約100市区町村で実施されるなど、教師も児童も動物とのふれあいの重要さを体験できるようになったが、このような獣医師は学校獣医師とよばれている。
2022年(令和4)時点で、日本国内の獣医師の総数は農林水産省の調べで4万0455(うち女性1万4135)、内訳は国家公務員553(264)、都道府県職員6568(2768)、市町村職員2092(1013)、民間団体職員8082(2468)、個人診療施設1万8641(6424)、その他165(66)となっている。
[本好茂一]
『農林水産省畜産局監修、日本獣医師会編『獣医畜産六法 平成10年版』(1997・新日本法規出版)』▽『農林水産省畜産局編『家畜衛生統計』各年版(1999・農林弘済会)』▽『独立行政法人動物衛生研究所編刊『動物衛生研究所 研究報告』各年版』▽『農林水産省消費・安全局動物衛生課編『家畜衛生統計』各年版(農林統計協会)』
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…正しくは〈獣医師〉と称する。一般に動物を飼育する場合,健康維持はなかなか難しい。…
※「獣医師」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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