玉造部とも書く。勾玉(まがたま),管玉,丸玉等の玉類の製作に従事した大和朝廷の職業部。硬玉,碧玉,水晶,ガラス等の材料に研磨を加えるので〈たますりべ〉ともいう。摂津,河内,遠江,駿河,伊豆,上総,下総,陸奥,出雲,周防,土佐等原石を産出する地域を中心に分布していたことが古代の文献によって知られる。弥生時代以来存在した各地の玉作集団を部として組織したもので,その部民化の時期は5世紀後半以降と考えられる。各地の玉作部は在地の伴造(とものみやつこ)玉作造(みやつこ)に率いられ,これを中央伴造玉祖連(たまのやのむらじ)(玉作連)が支配した。玉祖連は684年(天武13)に宿禰(すくね)を賜姓された。その本拠は明らかでないが,河内国であろうか。《新撰姓氏録》によると右京に玉祖宿禰と忌玉作(玉作連),河内に玉祖宿禰が存在する。玉作部は大化改新以降解放されたが,《延喜式》によると出雲国意宇郡の玉作氏は大殿祭料として毎年御富岐玉60連を進上することになっており,古来の伝統を引きついでいる。
→玉(たま)
執筆者:新井 喜久夫
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
「たますりべ」とも。勾玉(まがたま)・管玉(くだたま)などを研磨製作した品部(しなべ)。中央の玉祖連(たまのやのむらじ)に管掌されたらしい。「日本書紀」神代上に玉作部の遠祖豊玉(とよたま),神代下に玉作の上祖玉屋(たまや)命のことが記され,玉作と神事の関係の深さを示す。垂仁39年条にも石上(いそのかみ)神宮と関係する10種の品部のなかに玉作部がある。律令時代には玉作・玉作部姓の人々や玉作(造)郷が散見し,「延喜式」によると,臨時祭に出雲国の進上する御冨岐玉(みふきのたま)60連は意宇(おう)郡の神戸(かんべ)玉作氏が造り備えた。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…弥生時代以来存在した各地の玉作集団を部として組織したもので,その部民化の時期は5世紀後半以降と考えられる。各地の玉作部は在地の伴造(とものみやつこ)玉作造(みやつこ)に率いられ,これを中央伴造玉祖連(たまのやのむらじ)(玉作連)が支配した。玉祖連は684年(天武13)に宿禰(すくね)を賜姓された。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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