一宮に鎮座。史料上は玉崎・玉綺ともみえる。名神大社で、上総国一宮と称された。旧国幣中社。創建年代はつまびらかでなく、景行天皇の巡行の際に創祀されたと伝える。祭神は玉前神とされるが異説が多く、「大日本国一宮記」では前玉命(高皇産霊尊の弟生産霊尊の子)とし、また前玉命を高皇産霊尊の孫ともする。あるいは大己貴命・天明玉命・玉依姫命などともいう。社伝では玉前神を玉依姫命とする。「古今著聞集」上総一宮託宣事によれば、当社の神が懐妊して三年になるが、延久二年(一〇七〇)八月三日明王の国を治める時にあたり若宮を誕生すると託宣、海浜にあった明珠一顆が若宮であったという。当社の神は女神かもしれない。「三代実録」貞観一〇年(八六八)七月二七日条に玉前神とみえ、従五位上勲五等から従四位下になっており、元慶元年(八七七)に正四位下、同八年には正四位上となっている(同書元慶元年五月一七日条・同八年七月一五日条)。
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千葉県長生(ちょうせい)郡一宮(いちのみや)町一宮に鎮座。玉埼神(たまさきのかみ)(玉依姫命(たまよりひめのみこと))を祀(まつ)る。例祭日は9月13日。延喜(えんぎ)の制では国幣の大社にして名神(みょうじん)に列し、のち上総(かずさ)国の一宮。とくに関東の武将の尊崇が厚く、源頼朝(よりとも)は妻政子(まさこ)のため安産を祈願した。1582年(天正10)安房(あわ)の豪族里見義頼は宮地を寄進し、91年には徳川家康が神田(しんでん)15石を寄進した。1871年(明治4)国幣中社に列した。例祭は上総はだか祭とも十二社祭とも称し、二基の神輿(みこし)が海岸に渡御して、付近11社の神輿と会合する古式である。社宝の梅樹双雀鏡は国の重要文化財、上総神楽(かぐら)といわれる神楽は県無形民俗文化財である。
[沼部春友]
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…九十九里浜南端に位置し,町域の西部に房総丘陵の末端がかかる。中心集落の一宮は丘陵と平地の境界にあり,上総国一宮玉前(たまさき)神社の鳥居前町として発展,近世には海産物と農産物が交易される市場町としてにぎわい,5・10の六斎市が開かれていた。また一宮藩の陣屋もおかれた。…
※「玉前神社」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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