玉前神社(読み)タマサキジンジャ

デジタル大辞泉 「玉前神社」の意味・読み・例文・類語

たまさき‐じんじゃ【玉前神社】

千葉県長生郡一宮町にある神社祭神は玉埼神(玉依姫命)。関東武士の信仰を受けた。上総かずさ一の宮。玉前大明神。

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精選版 日本国語大辞典 「玉前神社」の意味・読み・例文・類語

たまさき‐じんじゃ【玉前神社】

  1. 千葉県長生郡一宮町にある神社。旧国幣中社。祭神は玉埼(前)神(玉依姫命)。景行天皇東巡の際の創建と伝える。関東武士の信仰が厚く、源頼朝は妻政子の安産を祈った。上総国一の宮。玉前大明神。

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日本歴史地名大系 「玉前神社」の解説

玉前神社
たまさきじんじや

[現在地名]一宮町一宮

一宮に鎮座。史料上は玉崎・玉綺ともみえる。名神大社で、上総国一宮と称された。旧国幣中社。創建年代はつまびらかでなく、景行天皇の巡行の際に創祀されたと伝える。祭神は玉前神とされるが異説が多く、「大日本国一宮記」では前玉命(高皇産霊尊の弟生産霊尊の子)とし、また前玉命を高皇産霊尊の孫ともする。あるいは大己貴命・天明玉命・玉依姫命などともいう。社伝では玉前神を玉依姫命とする。「古今著聞集」上総一宮託宣事によれば、当社の神が懐妊して三年になるが、延久二年(一〇七〇)八月三日明王の国を治める時にあたり若宮を誕生すると託宣、海浜にあった明珠一顆が若宮であったという。当社の神は女神かもしれない。「三代実録」貞観一〇年(八六八)七月二七日条に玉前神とみえ、従五位上勲五等から従四位下になっており、元慶元年(八七七)に正四位下、同八年には正四位上となっている(同書元慶元年五月一七日条・同八年七月一五日条)

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「玉前神社」の意味・わかりやすい解説

玉前神社
たまさきじんじゃ

千葉県長生(ちょうせい)郡一宮(いちのみや)町一宮に鎮座。玉埼神(たまさきのかみ)(玉依姫命(たまよりひめのみこと))を祀(まつ)る。例祭日は9月13日。延喜(えんぎ)の制では国幣の大社にして名神(みょうじん)に列し、のち上総(かずさ)国の一宮。とくに関東の武将の尊崇が厚く、源頼朝(よりとも)は妻政子(まさこ)のため安産を祈願した。1582年(天正10)安房(あわ)の豪族里見義頼は宮地を寄進し、91年には徳川家康が神田(しんでん)15石を寄進した。1871年(明治4)国幣中社に列した。例祭は上総はだか祭とも十二社祭とも称し、二基の神輿(みこし)が海岸に渡御して、付近11社の神輿と会合する古式である。社宝の梅樹双雀鏡は国の重要文化財、上総神楽(かぐら)といわれる神楽は県無形民俗文化財である。

[沼部春友]


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百科事典マイペディア 「玉前神社」の意味・わかりやすい解説

玉前神社【たまさきじんじゃ】

千葉県一宮町に鎮座。旧国幣中社。玉埼(たまさき)神(玉依姫(たまよりひめ)命)をまつる。延喜式内の名神大社とされ,上総(かずさ)国の一宮。例祭9月13日は上総裸祭(十二社祭)として有名。重要文化財の梅樹双雀鏡がある。

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デジタル大辞泉プラス 「玉前神社」の解説

玉前(たまさき)神社

千葉県長生郡一宮町にある神社。延喜式内社。祭神は玉依姫命(たまよりひめのみこと)。子授け、子宝縁結びなどで知られる。上総国一之宮。

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世界大百科事典(旧版)内の玉前神社の言及

【一宮[町]】より

…九十九里浜南端に位置し,町域の西部に房総丘陵の末端がかかる。中心集落の一宮は丘陵と平地の境界にあり,上総国一宮玉前(たまさき)神社の鳥居前町として発展,近世には海産物と農産物が交易される市場町としてにぎわい,5・10の六斎市が開かれていた。また一宮藩の陣屋もおかれた。…

※「玉前神社」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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