玉泉洞(読み)ギョクセンドウ

デジタル大辞泉 「玉泉洞」の意味・読み・例文・類語

ぎょくせん‐どう【玉泉洞】

沖縄県沖縄島南東部にある鍾乳洞南城市玉城たまぐすく雄樋ゆうひ川下流に位置する。30万年前に形成されたとされ、主洞と枝洞とを合わせた総延長は約5000メートル。昭和42年(1967)から愛媛大学学術探検部による探検・調査が行われ、現在は890メートルが観光洞として公開されている。

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日本歴史地名大系 「玉泉洞」の解説

玉泉洞
ぎよくせんどう

[現在地名]玉城村前川

前川まえかわ南部にある雄樋ゆーひ川水系の石灰洞で、県最大の観光鍾乳洞。地元での古名は宇和川壕うわーがーがまという。洞口は標高二〇メートル前後に位置し、全長は一六〇〇メートル。接続する洞穴を含めると約五〇〇〇メートルに達し、県内随一、全国でも有数の長さである。洞内には鍾乳石、リムストーンダム、ヘリクタイト石筍など二次生成物の発達がよい。斜め複合鍾乳石や浸食による多段式断面など、ほかの鍾乳洞ではほとんどみられないものもある。また洞内には八つの水脈があり、その一つが雄樋川である。雄樋川は玉泉洞より上流部と下流部においては地表河川であるが、途中当洞内を地下河川として流れる。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「玉泉洞」の意味・わかりやすい解説

玉泉洞
ぎょくせんどう

沖縄県南城市(なんじょうし)玉城(たまぐすく)にある日本有数の鍾乳洞(しょうにゅうどう)。沖縄本島に特有な琉球(りゅうきゅう)石灰岩の溶食した鍾乳洞で、全長5キロメートルであるが、観光洞の長さは890メートル。雄樋川(ゆうひがわ)の地下河川の一つとして形成され、この一帯には無数の洞穴がある。古来から風葬地や第二次世界大戦中の避難壕(ごう)として一部は知られていたが、1967年(昭和42)愛媛大学学術探検部によって全容が発見され、1972年に観光洞「玉泉洞王国村」としてオープンした(2002年「おきなわワールド―文化王国・玉泉洞」に改称)。

[目崎茂和]


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改訂新版 世界大百科事典 「玉泉洞」の意味・わかりやすい解説

玉泉洞 (ぎょくせんどう)

沖縄県,沖縄島(本島)南部,南城市の旧玉城(たまぐすく)村前川にある鍾乳洞。1967年愛媛大学学術探検部の調査隊によって発見され,洞穴の全貌が明らかにされた。その中核をなす玉泉洞は,全長3600m,接続洞穴を含めると約5000mで,長さでは安家(あつか)洞に次いで全国第2位である。1972年主洞の800mが観光洞として公開され,数種の鍾乳石,石筍,石柱,洞内を走る地下川の清流などが見られる。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「玉泉洞」の意味・わかりやすい解説

玉泉洞
ぎょくせんどう

沖縄県沖縄島南部,南城市にある石灰洞(鍾乳洞)。雄樋川沿いの前川地区に開口する。所在は古くから知られていたが,1967年に愛媛大学学術探検部によって初めて本格的な調査がなされた。20万~50万年前にできたものとされ,全長約 5kmのうち約 890mが観光洞として公開されている。洞内では何種類もの鍾乳石石筍,石柱などが見られ,その神秘的な景観は東洋一といわれる。石灰洞を中心にハブ博物公園や昔の町並みを再現した琉球王国城下町などの施設がある。

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事典 日本の地域遺産 「玉泉洞」の解説

玉泉洞

(沖縄県南城市)
美しき日本―いちどは訪れたい日本の観光遺産」指定の地域遺産。

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事典・日本の観光資源 「玉泉洞」の解説

玉泉洞

(沖縄県南城市)
新おきなわ観光名所100選」指定の観光名所。

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