デジタル大辞泉
「王鐸」の意味・読み・例文・類語
おう‐たく〔ワウ‐〕【王鐸】
[1592~1652]中国、明末清初の書家・画家。字は覚斯。明・清の2朝に仕えた。自由奔放で感情に富んだ書と、簡素で平明な山水画で知られる。
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おう‐たくワウ‥【王鐸】
- 中国、明代末期から清代初期の画家、書家。字(あざな)は覚斯(かくし)。清朝に仕え礼部尚書(れいほうしょうしょ)に至った。画は簡素で逸気に富み、書は連綿体を得意とし、当代第一といわれた。(一五九二‐一六五二)
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王鐸 (おうたく)
Wáng Duó
生没年:1592-1652
中国,明末・清初の書家,画家。河南省孟津(もうしん)の人。字は覚之,または覚斯(かくし)。号は嵩樵(すうしよう),十樵,癡庵(ちあん),癡僊(ちせん)道人など。明の天啓2年(1622)の進士で,翰林編集より礼部尚書を歴任した。明の滅亡のとき,南京の福王に仕えたが,1645年(順治2)清に下り,明史副総裁より礼部尚書に栄進した。書は行草を王羲之・献之を,楷書は顔真卿(がんしんけい)風を学び,逸趣のある作品を多く伝える。専帖に《擬山園帖》がある。画は山水を荆浩(けいこう),関仝(かんどう)を学び,樹石花卉(かき)は墨色豊かな画風を得意とした。
執筆者:新藤 武弘
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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王鐸
おうたく
(1592―1652)
中国、明(みん)末清(しん)初の書画家。孟津(もうしん)(河南省)の人。字(あざな)は覚斯(かくし)、号は嵩樵(すうしょう)、石樵。1622年(天啓2)進士に合格。明清両朝に仕え、東閣大学士、礼部尚書の高位に上った。博学で詩文、書画いずれもよくしたが、とりわけ書名はもっとも高かった。彼は、楷書(かいしょ)は鍾繇(しょうよう)、行草は二王(羲之(ぎし)・献之(けんし))に範を求め、終生臨模(りんも)を怠らなかったという。しかし、彼の臨書は意臨に徹したもので、行草においては情熱や意気そのままに自由奔放な筆を振るい、激しい連綿草の一様式を樹立した。また画技においては山水、蘭竹(らんちく)に長じていた。当時から評判高く、いまも多くの書画作品が伝えられており、法帖(ほうじょう)『擬山園帖』も刊行されている。
[角井 博]
出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例
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王鐸
おうたく
Wang Duo
[生]万暦20(1592)
[没]順治9(1652)
中国,明末,清初の書家。孟津 (河南省) の人。字は覚斯,覚之,号は嵩樵など。諡は文安。明,清両朝に仕え礼部尚書となった。楷書は唐の顔真卿,行草は王羲之,王献之の書風を学んだ。情趣豊かな連綿体の書風を特色とする。筆跡としては『擬山園帖』『琅華館帖』などがある。詩文,絵画も巧みであった。文集『擬山園集』がある。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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世界大百科事典(旧版)内の王鐸の言及
【清代美術】より
…
[書]
清代前半期,乾隆ころまでは,明代中期以来流行した法帖をよりどころとする[帖学]派が盛行し,後半期嘉慶(1796‐1820)以後は主として北朝の石刻文字を学ぶ[碑学]派の活躍が注目される。まず順治・康熙・雍正年間を帖学前期とし,王鐸と傅山2人をその代表とする。前者は清朝に出仕して2王朝の臣となり,後者は出仕の意を絶った遺民として,転換期における読書人の生き方をも代表する。…
※「王鐸」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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