能の分類名。〈夢幻能〉と対立して能を二大別する。夢幻能の典型が霊的存在(男女の霊,草木の精など)を主人公として過去を回想する形をとるのに対し,〈現在能〉は現実世界のできごとを描く。すなわち,現実の時間経過に沿って劇が進行し,登場人物も多くは生きている人間である。現在能の名称は,《鵺(ぬえ)》と《現在鵺》,《巴》と《現在巴》のように,同一人体の霊と現在身が登場する2曲がある場合,後者に〈現在〉の語を冠して区別した習慣に基づく。夢幻能と比較した典型的現在能の特色は上記のほかに,複数の人物の対立による事件を描き,主役以外の諸役も活躍すること,夢幻能のような画一的脚本構造を持たないこと,悲劇的状況に立たされた人間の苦悩や心情(親子・主従・男女間の愛情や武士の道)を重要なモチーフとすること等があげられる。ただし,すべての現在能がこれらの特色を完備しているわけではない。たとえば,多くの物狂能や優美な女性を主人公とする《熊野(ゆや)》《千手》,老女物の《関寺小町》,人情物の《景清》などは主役独演の傾向が強く,末2曲は過去の回想を中心とする点も夢幻能的である。素材や主題に応じた多様性を持つように見える脚本構造にしても,物狂能には一定のパターンがあり,斬合物(《烏帽子折》《夜討曾我》等)や人情的内容の侍物(《春栄(しゆんねい)》《満仲(まんぢゆう)》《小袖曾我》等)にも,状況設定,ストーリー展開,部分的構成などにいくつかの類型が認められる。
夢幻能と現在能は,登場人物の性格や扮装,脚本構造,ストーリー展開等を総合した上での分類であり,どちらにも所属しにくい作品もある。神仏が人間世界に現れて霊験を示す《谷行(たにこう)》《調伏曾我》《皇帝》や,人間界に害意をもって挑みかかる《羅生門》《土蜘蛛》《是界》等の鬼退治物や天狗物,《恋重荷(こいのおもに)》《砧》のような恨みを持つ人間の霊が登場する曲がそれである。これらは,霊的存在が登場する点で夢幻能的だが,幻として夢中に現じるのではないし,ストーリー展開や構成が現在能的な場合が多いから,曲ごとの検討は要するものの,広い意味で現在能に含むのが一般的である。また,憑物(つきもの)の能(《卒都婆小町》《巻絹》等)も現在能に含まれる。現在能の成立は夢幻能に先行する。世阿弥時代以前に存在した古作現在能をみると,物狂い,芸尽し,合戦,武士の心意気,強い人情的要素といった現在能の基本的パターンや構成要素の多くが早くから生まれていたことが知られる。このうち,世阿弥が力を注いだのが物狂能である。登場人物の削除,構成の整備を施して古作を改作し(《柏崎》《丹後物狂》等),《花筐(はながたみ)》《班女(はんじよ)》等を制作して物狂能の様式を完成させた。世阿弥がほとんど関心を示さなかった物狂能を除く古作現在能のさまざまな構成要素やパターンは後代に受け継がれ,一方,夢幻能的手法の導入・舞歌の重視・構成の洗練度を加えた新傾向の現在能も生まれた。《熊野》《俊寛》《鉢木》等がその例として推定されている。また,観世信光・観世長俊父子も,鬼退治物や,《大蛇(おろち)》《船弁慶》《河水》《正尊》など,古作現在能の要素を下敷きに歌舞性も生かした独特の現在能を作っている。
→夢幻能
執筆者:小田 幸子
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
…舞台的面白さに主眼を置く風流能に対し,人間の心理・葛藤・対立を中心に描いた能を指す。〈夢幻能〉に対する〈現在能〉を〈劇能〉と称したこともあったが,夢幻能=非劇,現在能=劇という図式が成り立つわけではない。複数の人間が対立しつつ展開する一般的な劇の概念からは外れるものの,ある人物の内面をその人自身が語るという意味で,夢幻能も〈劇〉に含むことができる。…
…しかし化身体と本来の現在体とでは演出面の扱いが違う。
[構想]
能本は,その構想のうえで夢幻能と現在能の二つに大別される。ただし両者の中間をいく構想の能本もある。…
※「現在能」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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