日本大百科全書(ニッポニカ) 「現存在分析」の意味・わかりやすい解説
現存在分析
げんそんざいぶんせき
Daseinsanalyse ドイツ語
精神病理学の手法の一つ。スイス、ドイツを中心に20世紀初頭から展開し、とくに精神病患者の理解のための有力な方法論となった。現象学的精神病理学とほぼ同義であるが、ヤスパースの記述現象学やフランクルらの実存分析とは似て非なるものである。患者の精神現象は医師にとっては直接に観察しうるものではなく、その把握は患者自身が自分の主観的体験をどのように対象化し、医師に伝えるのかによっている。ところが精神病状態では、それを体験する自己(精神)そのものが変化をこうむっているために、信頼しうる観察者をどこにも定めることができない。医師が患者を理解しようとするとき、いつも彼の体験が彼自身の自己の変容のなかで、いかに成立しているのか(あるいは成立しそこなっているのか)という観点にさかのぼらざるをえないわけである。この意味では「体験が意識に対してどのようにして現れてくるのか」に徹底してさかのぼろうとする哲学的現象学(フッサール)が、そこでの方法論として受け入れられたのは必然であった。
現存在分析の創始者であるビンスバンガーは、統合失調症の患者が示す奇妙な態度や妄想を単に了解不能とみなす日常的(経験的)態度を中止して、そうした体験をその構成(構造以前)にさかのぼって解釈しようとした。彼の分析はフッサールのいう超越論的還元にそったものであったが、ただ還元を行うだけでは状態像の把握は曖昧なままになってしまう。そこでは前期ハイデッガーの存在論的概念(世界内存在、現存在、時熟、道具連関など)が、より積極的な解釈の手がかりとされた。統合失調症を人間学的不均衡として捉えるビンスバンガーらの立場はそれゆえハイデッガーの用語を借りて現存在分析と呼ばれる。彼がフッサールやハイデッガーの哲学に依拠しながらも、それを経験科学としての精神病理学の樹立のために利用する立場に留まったのに対し、同時代のスイスの精神病理学者メダルト・ボスMedard Boss(1903―90)は、より忠実にハイデッガーの哲学概念に従い、それを性的倒錯や神経症などの治療状況の分析へと応用していった。またビンスバンガーの静態的分析の立場は、ブランケンブルクや木村敏らによってさらに成因論(成因にさかのぼって分析すること)的に純化され、1970年代以降、黄金期を迎えた人間学的精神医学(妄想や幻覚といった患者の体験を単に症候としてとらえるのではなく、人間の全体状況から解釈しようとする立場)にあって中心的役割を担うことになった。
現存在分析は患者の示すさまざまな状態像を、「生きている世界」(世界内存在)の変化の直接の現れとして解釈(直観)する立場である。そのことによって了解の地平は拡がり、統合失調症に対しても治療的接近の可能性が用意されることになった。ただしビンスバンガーからブランケンブルクに至る系譜は、人間の間主観的構成(自己と他者の成立問題)という、フッサール現象学にとっても未解決の課題を多くはらむものであったがゆえに、この流れは複雑難解な哲学的展開、あるいは精神病理学の方法論的雑居を生み出すことになってしまった。現象学的精神病理学の潮流は、その出自からして方法論的な厳密さを追求するというものであったが、80年代以降の北米を中心としたDSM(Diagnostic and Statistical Manual of Mental Disorders。アメリカの精神医学会による「精神疾患の診断・統計マニュアル」)に代表される操作的(マニュアル的)診断と生物学的精神医学(画像処理、ニューロトランスミッター(神経伝達物質)、遺伝子学などによる精神疾患の分析)の隆盛のなかでは精神医学の「文学的」側面などと誤解され、やや軽視される傾向にある。
[大饗広之]
『ビンスワンガー著、荻野恒一・宮本忠雄ほか訳『現象学的人間学――講演と論文 第1』(1967・みすず書房)』▽『荻野恒一著『現象学的精神病理学』(1973・医学書院)』▽『木村敏著『分裂病の現象学』(1975・弘文堂)』