第15代観世大夫。14代清親の嫡男。三十郎,左近と称す。1732年(享保17)江戸城で初舞台,47年(延享4)家督相続。父祖の代より着々と力を蓄積してきた観世座は,元章の代に父の後をうけて将軍家重・家治二代の能指南役となり,一方,前代以来の京都への進出をほぼ完了するに及んで,流勢が頂点に達した。50年(寛延3)江戸筋違橋における晴天15日間の大勧進能の興行,52年(宝暦2)弟の織部清尚の別家観世銕之丞(てつのじよう)家樹立なども,そうした流勢の反映であった。一方で元章は篤学な考証家であり,父清親にならい家伝の世阿弥伝書を数多く書写し,さらに考証・注釈を加え,その一部を版行するほどであった。このような元章の識見と将軍の後援とによって行われたのが,いわゆる〈明和改正謡本〉の刊行である。田安宗武,賀茂真淵らの協力の下,65年(明和2)6月に幕府御用書肆出雲寺和泉掾より出版されたこの謡本は,古曲の復曲や新作を含む210曲のほか,《二百拾番謡目録》1冊,《九祝舞》1冊,《独吟》9冊から成る。これとは別にこの謡本に対応するアイ(間狂言)の台本《副言巻》も刊行された。国学色濃厚で極端な改訂文句は当初より悪評を呼び,元章没後ただちに廃止されたが,以後の観世流謡本に与えた影響は少なくなかった。また絶大な権威を背景に演出の体系化と習道の階梯の確立とをはかり,家元制度の充実につとめた。その改訂謡本は廃止されたものの,元章の制定した演出や秘伝は後代にも基本的に継承された。観世座が四座一流の筆頭としてその地位を不動のものにしたのも元章によるところが大きい。功罪相なかばするが,観世座中興の祖といってよかろう。
執筆者:竹本 幹夫
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(石井倫子)
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江戸後期の能役者。シテ方。観世流15世宗家。幼名三十郎。1747年(延享4)宗家を継ぎ左近(さこん)と改名。謡曲詞章の改訂から演出の細部に及ぶ能楽合理化を断行した。田安宗武(たやすむねたけ)が後援し、賀茂真淵(かもまぶち)ら国学者の助力もあって、『明和(めいわ)改正謡本』を刊行した。従来のテキストの無効を宣したほどの大改革も急激にすぎたため、没後は将軍の命令により旧に復した。『阿古屋松(あこやのまつ)』『松浦鏡(まつらかがみ)』などの復曲や『梅』など新作にも意欲をみせた。また、50年(寛延3)江戸筋違(すじかい)橋で前例のない晴天15日間の勧進能をも演じている。
[増田正造]
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