田崎村(読み)たざきむら

日本歴史地名大系 「田崎村」の解説

田崎村
たざきむら

[現在地名]六日町田崎

法音寺ほうおんじ村の西、北は新堀にいぼり村、西は三国さくり川対岸の津久野下つくのしも新田、南は深沢ふかさわ村。建武二年(一三三五)一二月一八日の源某安堵状(佐藤文書)によれば「越後国千屋郡内田崎村」での軍勢百姓等の家への乱妨が停止されている。ただしこの文書は検討を要する。文安元年(一四四四)三月二七日の諏訪神主役頭日記(同文書)に「田崎田地」とあり、山王神田・諏訪神田などの記載がみえる。正保国絵図に村名がみえ、高二〇三石余とある。


田崎村
たさきむら

[現在地名]川内市田崎町

山田やまだ山田村の北西にあり、西は平佐ひらさ郷平佐村。南を平佐川が西流する。元応二年(一三二〇)九月二日の本田暁道請文(入来院文書)に田崎名とみえ、同名名主善法と下地などを争っていた永利如性は、山田村と同名の境をめぐって山田村地頭島津氏をも訴えている。永伝元年(延徳二年、一四九〇)八月二一日の渋谷重豊譲状(同文書)には入来院重豊から子息重聡へ譲られた所領のうちに田崎村がみえる。


田崎村
たさきむら

[現在地名]大牟田市上白川町かみしらかわまち一―二丁目・中白川町なかしらかわまち一―三丁目

小船津こふなつ村の東、北西流する長溝ながみぞ(堂面川)の中流域にあり、やや起伏のある洪積台地が分布する。建武四年(一三三七)五月一五日の三池兵庫助(親元)宛の摂津親秀書下写(新編会津風土記/南北朝遺文(九州編)一)によれば、兵庫助は三池安芸左近蔵人入道宗円が申請している「三池南郷内田崎村」地頭職の安堵について、当知行の真偽等を確認して報告するよう命じられている。天正一五年(一五八七)高橋統増(立花直次)領となり、文禄四年(一五九五)知行方目録(三池立花家文書)によれば田崎は高五八二石余。


田崎村
たさきむら

[現在地名]熊本市田崎町・田崎本たさきほん町・田崎一―三丁目

南は八島やしま村、東は宮寺みやでら村に接する。慶長九年(一六〇四)九月の検地帳に田方五〇町余・畠方一七町七反余、分米七七八石余とある。寛永一二年(一六三五)の地撫帳では横手手永に属し、当竿前は田二〇町九反余・畠一二町九反余で、このほか新地三畝六歩を記載する。宝暦一〇年(一七六〇)の下ケ名寄帳では、惣畝数三四町二反余、うち御蔵納三三町八反・新地一反余・諸開三反余で、このほか塩硝御蔵御番人衆の屋敷一畝二八歩半、社床三・墓一の一反三畝二四歩を記載し、庄屋のほか頭百姓五がいた。


田崎村
たさきむら

[現在地名]那珂町田崎

那珂川の左岸に位置し、北は大内おおうち村。村の中央を南北静中山しずなかやま街道が縦貫する。「新編常陸国誌」の田崎氏の項に「那珂郡田崎村ヨリ出タリ、佐竹氏ノ世臣田崎式部少輔ヲ祖トス、其子新三郎、其子遠江守ハ天正年中ノ人ナリ、佐竹義宣ニ仕ヘテ奥州東館ノ城代トナル、其嫡子相摸守二子兵庫助ト云、父ト共ニ仕フ、後従テ羽州ニ赴ク、子孫アリ〔戸村本、知行目録〕」と記される。寛永一二年(一六三五)の水戸領郷高帳先高に「田崎村」とある。


田崎村
たさきむら

[現在地名]玉名市田崎

北を木葉このは川が北西に流れ、東から北へ三池みいけ往還が走る。東は稲佐いなさ(現玉名郡玉東町)、南は北坂門田きたさかもんた村、北は安楽寺あんらくじ村・寺田てらだ村に接する。寛文九年(一六六九)の「一統志」に村名がみえる。小田手永に属した。宝暦一四年(一七六四)の下ケ名寄帳によると畝数一九町余・その他五町二反余、高二七〇石四斗余。


田崎村
たさきむら

[現在地名]旭村田崎

大谷おおや川西岸の丘陵上にある。北は沼に臨み、南は大谷川の支流を挟んで鹿田しかた村。慶長七年(一六〇二)の御知行之覚(秋田家文書)に「田さき村」八一六・八一石とあり、秋田氏領となるが、のち天領となり、元禄郷帳の村高は六四五石余。天保郷帳では六八三石余に増加する。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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