草戸千軒町遺跡(読み)クサドセンゲンチョウイセキ

デジタル大辞泉 「草戸千軒町遺跡」の意味・読み・例文・類語

くさどせんげんちょう‐いせき〔くさどセンゲンチヤウヰセキ〕【草戸千軒町遺跡】

広島県福山市草戸町の芦田川河川敷で昭和36年(1961)の発掘調査により確認された中世集落遺跡港町ないし市場町と推定され、延宝元年(1673)まで数度にわたり水没木簡呪符なども発見され、中世の庶民生活と地方都市に関する重要な遺跡として注目される。

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精選版 日本国語大辞典 「草戸千軒町遺跡」の意味・読み・例文・類語

くさどせんげんちょう‐いせきくさどセンゲンチャウヰセキ【草戸千軒町遺跡】

  1. 広島県福山市草戸町の芦田川河川敷で昭和三六年(一九六一)の発掘調査により確認された中世の集落遺跡。港町ないし市場町と推定され、延宝元年(一六七三)まで、いくたびか水没した。

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日本歴史地名大系 「草戸千軒町遺跡」の解説

草戸千軒町遺跡
くさどせんげんちよういせき

[現在地名]福山市草戸町

中世、芦田あしだ川河口近い海岸の砂州上に形成されていた集落遺跡。古代、沼隈半島の基部に位置し、良津であったと思われる津之郷つのごうが芦田川の流す土砂で埋もれ、港はしだいに地先へと移っていった。かつて島であり、防波堤の役割を果していたと考えられる神島かしま(現西神島町一帯)は津之郷の先端に陸続きとなり、その南東海岸砂州上に、遅くとも平安時代後期までに建立されていた真言宗常福じようふく(現明王院)に門前市が立つようになったのが集落形成の端緒と推測される。

現在までの発掘調査から鎌倉時代末期、芦田川の洪水で流失したとみられるが、元応三年(一三二一)の常福寺再建とともに門前町も復興したものであろう。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「草戸千軒町遺跡」の意味・わかりやすい解説

草戸千軒町遺跡
くさどせんげんちょういせき

広島県福山市草戸町の芦田(あしだ)川河川敷に埋もれた中世の集落遺跡。1961、62年(昭和36、37)に福山市教育委員会が発掘して遺跡の存在が確認され、68年からは河川改修に対処して広島県教育委員会が調査にあたり、73年からは広島県草戸千軒町遺跡調査研究所によって本格的な発掘調査が進められている。遺跡包蔵中州(なかす)は約6万平方メートルであるが、堤防外の現市街地にも広がっている可能性がある。鎌倉・室町時代の港町ないし市場町と推定され、日常の生活用具類が多量に出土し、中世の庶民生活や地方都市を解明するうえで重要な遺跡である。河川敷に埋もれているため木製品の保存が良好で、交易を物語る中世木簡(もっかん)や呪符(じゅふ)など注目すべき遺物が多い。町についての中世の記録は皆無で、江戸時代の地誌に1673年(寛文13)の洪水で水没したことが記されており、日本のポンペイといわれている。発掘後は、中州の掘削で遺跡が消滅するため史跡などの指定はされていない。

[松下正司]

『草戸千軒町遺跡調査研究所編『草戸千軒町遺跡 1973~79』(1974~81・広島県教育委員会)』

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国指定史跡ガイド 「草戸千軒町遺跡」の解説

くさどせんげんちょういせき【草戸千軒町遺跡】


広島県福山市草戸町にある中世の都市跡。市街西部を瀬戸内海へ流れる芦田川河口の河川敷に所在する。鎌倉時代から室町時代にかけて港町として存在したが、1673年(寛文13)の洪水で水没したという伝承が記録されていた。長和荘(ながわのしょう)など芦田川流域の荘園年貢の積み出しをはじめ、他の地方との物流の拠点として繁栄し、朝鮮半島や中国大陸とも交易していたとみられる。発掘調査の結果、縦横にめぐる水路、石敷き道路、井戸、掘立柱の柱穴などの遺構が発見された。出土遺物は、土師器(はじき)、須恵器(すえき)、瀬戸・美濃・唐津など国産の陶磁器、中国・朝鮮産の青磁、瓦などの土製品、木簡などの木製品、漆器類、砥石などの石製品など多岐にわたり、当時の活発な商品流通をよく反映したものとして、出土品は重要文化財に指定された。福山城公園にある広島県立歴史博物館では中世の草戸千軒の様子が再現されている。JR山陽新幹線ほか福山駅からトモテツバス「草戸大橋」下車、徒歩約12分。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「草戸千軒町遺跡」の意味・わかりやすい解説

草戸千軒町遺跡
くさどせんげんちょういせき

広島県福山市の芦田川河底にうずもれた中世の集落址。常福寺 (現明王院) の門前町ないしは港町と考えられる。 1961年に発掘が始り,現在は広島草戸千軒町遺跡調査研究所によって継続的な調査が行われ,柵と溝に囲まれた町跡が明らかになりはじめている。土師質皿・碗,土鍋,かまどなど生活用具が多いが,農具,塗漆具などの生産用具もみられる。備前,亀山,瀬戸,常滑などの国産陶磁器のほか,青磁,白磁などの中国,朝鮮からの輸入陶磁器も多い。木製品の保存が良好で,中世庶民生活資料として注目される。

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知恵蔵 「草戸千軒町遺跡」の解説

草戸千軒町(くさどせんげんちょう)遺跡

広島県福山市の芦田川の川底から、1961年以来の調査で見つかった平安、室町時代などの中世遺跡。芦田川の6haの中州から一辺100mもある屋敷や短冊状の町屋などの遺構と、中国青磁などの輸入陶磁器、1万6000枚余の銅銭、鍛冶道具、漆器などの生活道具が出土し、門前町か国際的な港町との見解がある。中世遺跡の先駆的な調査で、遺物などは県立歴史博物館内に復元遺構と共に展示しているが、遺構自体は河川改修で大半が失われた。

(天野幸弘 朝日新聞記者 / 今井邦彦 朝日新聞記者 / 2007年)

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