倉庫などの建物を含めた田地一帯をいうか。大化前代の豪族の土地所有の形態であり、皇族が所有する屯倉(みやけ)と区別される。税として稲などを収納し、それぞれの共同体の倉庫に一括管理したものと思われる。
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律令(りつりょう)国家成立以前の豪族の土地領有地をいう。荘は田地の経営に必要な倉庫や建物のある一画をさす。天皇・皇族の所有地を屯倉(みやけ)とよぶのに対して、用いられたもの。587年(崇峻(すしゅん)天皇の即位前年)、大臣(おおおみ)蘇我馬子(そがのうまこ)らに敗北した大連(おおむらじ)物部守屋(もののべのもりや)の領地と領民は、没収されて大阪四天王寺(してんのうじ)の「奴(やっこ)、田荘」とされたと伝えられており、寺院の私有地も田荘とよばれたことがわかる。田荘の耕作は、その所有者に従属する農民がこれにあたり、賃租の形をとることもあった。したがって、大和(やまと)王権の支配が全国に及んでいくにつれて、地方豪族の田荘は減少し、大和王権を構成する王族・豪族の屯倉や田荘が増大することになった。その転換期は、動乱が各地で進む5世紀後半から6世紀に求められる。
[原島礼二]
大和政権の屯倉(みやけ)に対して,豪族の農業経営の拠点。646年(大化2)の改新の詔によって,名代(なしろ)・子代(こしろ)や屯倉とともに諸豪族の部曲(かきべ)・田荘が廃止されている。「日本書紀」崇峻即位前紀には,物部守屋(もののべのもりや)が渋河家・難波宅などいくつかの拠点をもっていたことが知られ,その討滅後に守屋の奴婢の半分と宅をわけて四天王寺の奴婢・田荘としたとあり,田荘の存在と奴婢など配下の民の使役による経営がわかる。改新の詔以降にも,692年(持統6)飛鳥皇女の田荘への行幸の例や,律令制下でも「万葉集」に大伴坂上郎女(さかのうえのいらつめ)が滞在したとみえる跡見田庄(とみのたどころ)・竹田庄(たけだのたどころ)などの例があり,皇族の宮や諸豪族の私有地の経営の拠点として存続したか。農業経営の拠点であり,田地と屋・倉からなっていたらしい。
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