平安後期以降一般化した地方行政を担う在地の執務機関。国司の遥任化にともない,各国衙に設けられた行政運営の中枢組織で,中央の国守の命を受けて地方行政にあたった。多く目代と在庁官人により構成されていた。ただしすべての国に留守所が成立したわけではなく,在庁の存在は確認されても留守所がつくられなかった大和国のような例もあった。留守所なる名称の初出は,《御堂関白記》寛仁1年(1017)9月14日条に見える丹波国留守所で,ついで《左経記》万寿2年(1025)7月1日条にも見える。もっとも後代の引用史料には10世紀に留守所の名が見える例もあるが,一般には11世紀以降に展開され,11世紀後半にはほぼ全国的に作られたと考えられる。こうした留守所は在庁官人が目代の指揮下で庁政所を構成したところにその淵源があったが,留守所は国司派遣の目代を通じて,在京国司の命を在地に執行する機関であり,国司は在京しながらこの留守所を掌握しつつ任国の間接支配を実現させていた。しかしそれが間接的支配であるかぎり,国務の内実は留守所の在庁層の手にゆだねられることも多かった。事の軽重により留守所が国司庁宣を仰がねばならないこともあったが,留守所が独自に専決する場合もあった。こうして元来,在京国司の発する庁宣を在地において施行する機関であった留守所もその構成員たる在庁層が漸次武士化する傾向の中で独自の性格を帯びるに至った。平安末期における国衙機構の掌握をめぐる目代と在庁層の対立にはこうした事情が伏在する。さらにこの傾向を助長したのは,鎌倉幕府成立を果たした源頼朝による国衙在庁層の掌握であった。頼朝は1183年(寿永2)のいわゆる東国沙汰権の獲得あるいは85年(文治1)の文治の勅許を通じて国衙在庁官人の広義の進退権を手中に収め,その御家人化を推進していった。在庁官人の目代からの離脱も進み,国司による留守所を媒介とする任国支配はまさに空洞化の一途をたどるようになる。他方,諸国の知行国化という一般的趨勢とあいまって,国衙自体,国衙領からの官物を徴収する機関に転化し,大局的には従来の留守所の機能もその実を失うに至る。
執筆者:関 幸彦
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日本の古代末・中世において、地方行政の統轄のため各国に設けられた政庁。平安中期から、地方行政の実権はその国の在地の領主である在庁官人に握られ、国守は遙任(ようにん)と称して在京し、任国へはその私的な代官である目代(もくだい)を派遣するようになるが、その目代の指揮のもとに在庁官人が執務する国衙(こくが)(国府)の中心が留守所である。11世紀中ごろに現れ、15世紀まで史料にみえる。下部に税所(さいしょ)、健児所(こんでいしよ)、検非違所(けびいしよ)、田所(たどころ)、調所(ずしょ)などの分課的な所を置き、国務は在京の国守の命を受けた留守所の下文(くだしぶみ)によって執行される。判官代などと称する数人から十数人の在庁官人と目代によって構成されている国と、1~2人の豪族的領主が実権を握っている国とがある。
[大石直正]
平安中期~南北朝期に諸国の国衙(こくが)に設置された機関。受領(ずりょう)国司の遥任(ようにん)が広まると,諸国には留守所がおかれて,受領が私的に任じた目代(もくだい)を派遣して管轄させ,国衙全体の運営を行わせるようになった。留守所もまた国衙機構の所(ところ)の一つであるが,受領から発せられた庁宣をうけて留守所下文(くだしぶみ)を発行し,他の所を管轄して実務を行わせるなど,国衙の行政機能の中枢を担う存在であった。鎌倉時代になると,幕府から補任された守護が諸国の在庁官人との結びつきを強め,国衙の行政機構を掌握し,受領国司の制度に由来する留守所はしだいに国衙に対する影響力を縮小していった。
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…そのおもな原因の一つは国司の給与の増大で,奈良時代からもっぱら収入を目的とする員外国司,権任国司など,定員外の国司の任命が始まり,また平安時代に入って826年(天長3)に上総,常陸,上野を親王任国とし,その国守の親王を太守と呼び,太守は京にいてただ俸料のみを受けることにしてから,いわゆる遥任の例が生じた。この遥任の風は,その後各種の京官が収入を目当てに国守を兼帯することによってますます盛んとなったが,その場合には国守は腹心の者を目代(もくだい)として任国に派遣し,介以下の在庁官人によって構成される留守所(るすどころ)を指揮させることが行われた。またもう一つのおもな原因は,班田制・籍帳制度など公地公民制関係の諸制度の崩壊で,国司は公民を正確に把握して,そこから租・庸・調・雑徭その他を規定どおりに徴収することが困難となったため,公地と私地の両者を含む全耕地を把握して,その面積に応じて官物・雑役等を賦課する方式をとるようになり,中央への貢進物も,すべて官物の稲の一部をもって交易入手して京進するようになった。…
※「留守所」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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