翻訳|pain
体に危害が加わったときに生ずる不快な感覚。神経系に異常があって,危害が加わらないのに起こることもある。痛覚pain sensationともいう。
痛みは通常,外からの危害を避けるための無意識的な反射活動を伴う。やけどを負う前に痛みを感じて,熱いストーブから手を引っ込めるのはそのためである。また痛みを避けたいという基本的要求によって,同様な危害からの回避を学ぶこともできる。虫垂炎などでは,それによる痛みが警告信号となるばかりでなく,診断の重要な手掛りを提供してくれる。生まれつき痛みを感じない先天性無痛症の患者は,体のいたるところにひどい傷あとや〈あざ〉をもち,関節は著しく変形している。やけどをしても肉の焦げるにおいがするまで気づかない。小さな傷口から細菌が侵入すると,普通の人なら化膿による痛みで治療を受けるのに,この患者では,敗血症による激しい全身症状が出て初めて周囲の人があわてるという始末である。痛みは確かに生存に不可欠な保護的感覚といえる。しかし痛みが反対に有害無益で,病気を悪化させるのにしか役立たない場合もある。癌の末期の痛みなどはまさにそれで,痛みそのものを取り除きQOL(生活の質)を高める治療が必要になる。
世界最古の心理学書といわれるアリストテレスの《霊魂論》に挙げられた五つの感覚に痛みは含まれていない。痛みは不快あるいは苦しみを意味し,情動の一種であった。デカルトの《人間論》には,痛みの原因を回避する反射の概念が示されていて,痛みを悪とするそれまでの考えから一転して,保護的な意味をもつ有用なものとみるようになった。しかし,ここでも,まだ痛みを感覚とみたわけではなく,依然として情動の一つとされ,考えることのできない他の動物には精神がないので,痛みを感ずることができないとされていた。1794年になって,E.ダーウィンが過度の刺激によって温覚,触覚,視覚,味覚あるいは嗅覚(きゆうかく)が誇張されると痛みが起こるという考えを発表した。今日のように,痛みを独立した感覚とみなして他のすべての感覚から区別するようになったのは,19世紀の末になってからである。
痛みは身体のほとんどすべての部分から起こる。しかし身体の部位によって痛みの性質が異なっていて,外からの危害を受けやすい皮膚や粘膜から起こる表面痛superficial pain,筋肉や骨膜などから起こる深部痛deep pain,および胸膜,腹膜,内臓器官から起こる内臓痛に分けられる。表面痛には刺す痛みpricking painとやけつく痛みburning painの2種類がある。消したばかりのマッチで足指に触れると,まず一瞬刺す痛みが起こり,それから1秒近く遅れて,より長く続くやけつく痛みが現れる。刺す痛みを伝える末梢神経繊維は,直径が2~5μmで,12~30m/sの伝導速度をもつ細い有髄の繊維でAδ繊維とよばれるが,やけつく痛みを伝えるのは,直径約1μmで0.5~2.0m/sの伝導速度をもつさらに細い無髄の神経繊維のC繊維である。そこで,初めに感ずる痛みを第1痛first pain,次いで遅れて感ずる痛みを第2痛second painともいう。深部痛と内臓痛もAδ繊維とC繊維によって伝えられるが,これらはいずれもうずく痛みである。
表面痛は皮膚や粘膜を傷害するような刺激によって起こる。これを侵害刺激という。極端な熱(45℃以上),寒冷(15℃以下),過度の機械的刺激,刺激性のある化学物質などである。炎症のときにみられる表面痛は,局所に産生されるブラジキニンbradykinin,セロトニンなどの発痛物質によるもので,これらの発痛物質による痛みに関与する末梢神経繊維は,ポリモダル侵害受容繊維とよばれるC繊維である。炎症があると,これらの発痛物質のほか,プロスタグランジンE2とプロスタグランジンI2も局所に産生される。これらの物質は,直接的な発痛作用をもたないが,ブラジキニンによる痛みを強める働きがある。アスピリン(商品名)はプロスタグランジンE2,プロスタグランジンI2の産生をさまたげて痛みを和らげる。深部痛も侵害刺激によって起こるが,筋肉では血流が不足したときに持続的な収縮を続けても痛みが起こる。このときブラジキニンやプロスタグランジンE2,プロスタグランジンI2が産生されるためである。心臓の冠状動脈が狭窄したときにみられる狭心症の痛みも同様な理由によって現れる。内臓器官のうち,胃,腸,尿管などは通常,焼いても切っても痛くないが,これらが強く収縮したり伸ばされたりすると痛みが起こる。とくに閉塞にさからって内容を送り出そうとする収縮は強い痛みを起こす。子宮も同様で,焼いても切っても痛くないが,分娩時には強く収縮して頸管を広げるので陣痛が起こる。
痛みを起こす刺激はAδ繊維やC繊維の興奮を起こす。しかし,これらの繊維のすべてがこの刺激に反応するわけではない。この刺激に反応するものは侵害受容繊維とよばれる特別な繊維である。侵害受容繊維の末梢における終末部は,神経繊維が裸になった自由終末で,これが侵害刺激による侵害受容繊維の興奮を媒介している。そのため侵害受容器とよばれる。これには数種類のものがあって,それぞれに有効な特定の侵害刺激がある。皮膚の外から硬い毛などでこすったとき,痛みをひき起こす点を痛点というが,ここには侵害受容器が分布している。侵害受容器を取り囲む組織の炎症や,帯状疱疹のような病気によって神経繊維に異常のあるときには,通常,痛みを起こさないような弱い刺激にも反応するようになる。また日焼けした皮膚では,プロスタグランジンE2やプロスタグランジンI2が産生されて侵害受容器が過敏となり,弱い刺激でも痛みが起こるようになる。
イギリスの神経医ガワースWilliam R.Gowers(1845-1915)は,1877年に脊髄の中を上行して脳へ向かう痛みの伝導路に関して,きわめて重要な発見をした。彼は,ピストル自殺を試みて頸椎骨折を起こした患者を診察し,この患者の左半身の痛みと温覚,冷覚が完全になくなっていて,しかも触覚に異常がないことを知った。数日後この患者が死亡したので,その脊髄を調べたところ,頸髄の右側の前側索が損傷を受けていた。この経験をもとに,痛みと温覚,冷覚が反対側の前側索を上行するという結論を発表した。アメリカの同じく神経医のスピラーW.G.Spillerも,1905年に生前両側下肢の痛みと温覚,冷覚を失っていた患者を解剖して,両側の前側索に病巣があることを見いだし,ガワースの結論を確認した。そして12年には,外科医の手を借りて,下半身の激痛に悩む患者の両側前側索を切断して激痛を取り除くことに成功した。この手術が有効であったのは,侵害受容繊維に発生した興奮が脊髄の後根を経て脊髄の後角に細胞体をもつニューロンに伝わり,次いでこのニューロンから出る神経繊維に沿って脊髄内で交差した後,反対側の前側索を上行して脳に向かうためである。前側索を上行した興奮は,視床で中継されて大脳皮質の頭頂葉にある2次体性感覚野に到達する。視床はまた大脳皮質以外の部分ともたくさんの連絡をもっていて,笑ったり泣いたりするのに関与する部分とも密接につながっている。痛いときに泣いてしまうのはこの連絡があるためである。
内臓の病気の場合,しばしば病変のある場所から離れた皮膚に痛みを感ずる。これを関連痛という。たとえば横隔膜の炎症による痛みをしばしば肩に感ずる。その理由は,横隔膜からの痛みを伝える神経繊維と肩の皮膚からの痛みを伝える神経繊維とが同じ高さの後根を経て脊髄に入り,その後角の同じニューロンを興奮させるためである。狭心症の痛みを左側胸部,左肩,左腕の内側部などに感ずるのも同様な理由のためである。
脳は,痛みを感じて,痛みの原因を避けるのに役立ついろいろな行動を起こさせるばかりでなく,痛みそのものを和らげる仕組みももっている。たとえば,間脳の第三脳室を取り囲む部分を電気で刺激して痛みを抑えるのに成功したという報告がある。このほか,痛みの強力な治療薬であるモルヒネと似た物質が脳の中でつくられることも知られている。脳や脊髄にはモルヒネと特異的に結合する受容体があって,この受容体と結合する活性物質を探し求めた結果発見されたものである。メチオニンエンケファリン,ロイシンエンケファリン,β-エンドルフィンなどがそれである。古くから痛みの治療に使われてきたはり(鍼)も痛みを和らげる脳の仕組みと無関係ではないように思われる。
主として慢性の痛みを専門に治療する特殊な診療部門で,末梢神経の興奮伝導を遮断する神経ブロックが治療法の主体をなしている。疼痛外来ともよばれる。病気による痛みは一般に症状の一つであって,それを取り除いても病気の根本的な治療にならない。そればかりか,かえって危険なこともある。しかし,ある種の神経痛のように原因不明のものもあって,痛みをとるのが唯一の治療となるものもある。また癌の末期の痛みのように,原因が明らかであっても,それに手をつけられないので痛みをとることが残された治療となる場合もある。痛みがあって眠ることもならず,食欲がないというときには,痛みを取り除いてやると本人が楽になるばかりでなく,そばにいる家族も患者の苦痛をみなくて済むようになる。また病気によっては,痛みを取り除いてやると,さらにいろいろな治療手段が可能となるものもある。神経ブロックには通常,局所麻酔薬が使われる。その除痛効果は,しばしば局所麻酔薬の作用時間よりも長く続く。痛みは通常,反射性の筋肉や血管の収縮を伴っていて,それが長く続くと筋肉からも痛みが起こるようになって痛みが増加する。神経ブロックはこの悪循環を断ち切ることができる。そのため除痛効果が長く続くわけである。数週間から数年に及ぶ除痛を期待するときには,さらに強力な薬物や物理的手段によって神経を破壊する方法が用いられる。
執筆者:横田 敏勝
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…瘙痒感(そうようかん)ともいう。
[かゆみと痛みの関係]
かゆみのあるとき,刺激がどこに加わったのかはっきりしないことが多い。また刺激が去った後にも,かゆみは長く残る。…
…肩がこる,筋肉がこる,などという場合の〈こる〉という言葉は,筋肉が異常に緊張したり,または痙縮を起こしたときに感じる自覚症状を意味する。筋肉の緊張が亢進すると,ついには痛みを感じるようになる。こりと痛みとは表裏一体の現象で,つまり,こりとは有痛性痙縮ということができる。…
※「痛み」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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