(高木俊輔)
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幕末維新期の志士。下総(しもうさ)国北相馬(茨城県取手(とりで)市)出身の郷士小島兵馬(こじまひょうま)の子として江戸・赤坂に生まれる。通称四郎。兵学と国学を修め、数え23歳で志士となり、主として上野(こうずけ)、信濃(しなの)、出羽(でわ)など東国で活動。1863年(文久3)上州赤城山(あかぎやま)の挙兵計画に失敗し、翌年3月筑波山(つくばさん)挙兵に加わるが水戸藩士と相いれず分かれた。のち西郷隆盛(たかもり)の指令により、江戸の薩摩(さつま)藩邸に浪士隊を結成し江戸騒乱を謀る。68年(慶応4)ふたたび西郷の命令で官軍先鋒(せんぽう)隊の赤報隊(せきほうたい)を結成。自らが建白して採用された年貢半減令を布告して東山道(とうさんどう)へと進軍するが、総督府側と対立を深め、「偽(にせ)官軍」として信濃国下諏訪(しもすわ)にて処刑された。
[高木俊輔]
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幕末・維新期の志士。江戸赤坂に生まれる。本名小島四郎左衛門。父は下総の豪農で郷士。国学と兵学にすぐれ,上州・秋田などを遊歴して同志を募り,赤城山に挙兵するが失敗。筑波山挙兵にも途中で下山。のち京都に出て,西郷隆盛の指令を受け,江戸へ戻り薩摩屋敷に浪士隊を結成して江戸かく乱をはかる。再び上京後,官軍先鋒隊である赤報隊長となり年貢半減令を布告して進軍するが,偽官軍とされて下諏訪で処刑された。
執筆者:高木 俊輔
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1839~68.3.3
幕末期の尊攘派志士。下総国北相馬郡出身の郷士の子。本名小島四郎左衛門将満。江戸生れ。国学と兵学を修め,1861年(文久元)志士となり関東を中心に活動。天狗党の筑波山挙兵に参加,のち鹿児島藩江戸藩邸に浪士隊を結成し,江戸とその周辺地の攪乱にあたる。68年(明治元)1月赤報(せきほう)隊を結成,自分が建白して採用された年貢半減令を布告して東山道を進むが,東山道総督府に偽(にせ)官軍として捕らえられ斬首。
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…1868年(明治1)1月,鳥羽・伏見の戦に勝利した討幕側が組織した官軍先鋒隊の一つ。綾小路俊実・滋野井公寿の2卿を擁立し,京都の処士と元新撰組脱隊士,岩倉具視の内意を受けて来た近江水口藩士,西郷隆盛の指令を受けて加わった相楽(さがら)総三とその同志,などが寄り集まって近江松尾山で結成した。元新撰組隊士鈴木三樹三郎,水口藩士油川錬三郎とともに隊長となった相楽は,新政府に建白をして年貢半減令布告のことをひき出し,その後は新政と年貢半減令をともに布告しながら進軍した。…
※「相楽総三」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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