倭(やまと)王権の地方組織であった県の長。県の性格そのものが,王室の直領地,国造が管する国の下級組織,あるいは評(こおり),郡の直接前身をなす行政区画と解されるなど一定せず,県主の理解もなお定まっていない。しかし高市県主許梅(こめ)が壬申の乱中に神託を下し,また県主神社,県神社が祭られたなど,県主に司祭者的色彩がつよい。《延喜式》祝詞にみえる大和の六御県(むつのみあがた)が供御料地とされ,山背の葛野県主が殿部(とのもり),水部(もいとり)となって奉仕したとあるように,王室への従属性は明らかである。一方,県には王室領としての〈あがた〉と行政組織としての〈こおり〉があって,それぞれ県主と稲置(いなぎ)が管掌したとする見解がある。県の古訓に〈あがた〉と〈こおり〉の二つがあり,《日本書紀》大化元年8月条に〈県稲置(こおりのいなぎ)〉がみえるのが主たる論拠。県主はおそくとも7世紀には官職的地位を失って氏姓化したが,県主の同族集団は702年(大宝2)の御野国加毛郡半布里戸籍から県造-県主-県主族の構造で復元できる。
→国造(くにのみやつこ)
執筆者:八木 充
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古代、大和(やまと)王権の地方制度県(あがた)を支配した首長で、のちに姓(かばね)となる。大和王権の直轄領となった県から、その特産物を朝廷に納め、また県の神社を管理した。山城(やましろ)(京都府)の鴨(かも)県主は、賀茂(かも)神社(現在の上賀茂神社、下鴨神社の前身)を祀(まつ)り、その地域の農耕を管理していた。そのかたわら、宮廷の神事にも携わり、天皇即位の大嘗祭(だいじょうさい)には、灯を掲げて夜間祭事の案内役を勤めた。このことがもとになって、鴨県主が祀る八咫烏(やたがらす)が、神武(じんむ)天皇の道案内役を勤めたという、『古事記』『日本書紀』の話が生まれたといわれる。このように、県主のなかには宮中の神事と関係の深い例も少なくない。
[原島礼二]
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大和政権の地方組織である県(あがた)の長。畿内の県主は大和国の六御県(むつのみあがた)の県主のように,朝廷の直轄領を管理し,蔬菜・薪炭・氷などの日常物資を貢納した。のちに主殿(とのも)寮の伴部(ともべ)となる葛野(かどの)県主(賀茂(かも)県主)はその典型である。一方,畿外の県主については,国造制成立以前におかれた大和政権の古い地方組織の長(政教一致)とみなす説,「隋書」倭国伝の記載によって,国造―県主(稲置(いなぎ))という2段階の地方統治組織が7世紀にあったと考える説などがだされている。
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…古くは統率者をあらわす称呼であったものが姓となる。主として地方の県主(あがたぬし)・稲置(いなぎ),および部民(べみん)の統率者,または屯倉(みやけ)の管理者に与えられた。県主の例として志紀県主の志紀首,稲置の例として伊賀の稲置代首,部民の統率者の例として赤染部の統率氏族の赤染部首,そして屯倉の管理者の例として新家屯倉の新家首にみられる。…
…伴造が職能集団の宰領者であるのに対し,国造は国(くに)と呼ばれる地域の支配者で,古い形の地方長官ともいえる。多くは各地域の小君長の後であり,中には4世紀から5世紀にかけて盛行した大和朝廷の地方制度である県主(あがたぬし)が国造になったものもある。彼らは,ほとんどが自分の勢力圏となっている地域の地名を氏とし,臣(おみ)・連(むらじ)・君・公(きみ)・直(あたい)・造などの姓(かばね)を称した。…
…国造は,代表的な地方豪族をさし,一面では朝廷の地方官に組みこまれ,また在地の部民をひきいる地方的伴造の地位にあるものもあった。県主(あがたぬし)は,これより古く,かつ小範囲の族長をさすものと思われる。いずれも地名を氏の名とし,国造には,君,直の姓(かばね)が多く,中には臣を称するものもあった。…
※「県主」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...
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