日本大百科全書(ニッポニカ) 「矢立杉」の意味・わかりやすい解説
矢立杉
やたてすぎ
武将がその杉に矢を射立てたという伝説。山梨県の笹子(ささご)峠にある矢立杉は周囲七抱え半もあって、この道を軍勢が通るときにはかならず矢を射立てて、山の神に手向ける習わしであったという。岩手県遠野(とおの)市にある矢立松は、坂上田村麻呂(さかのうえのたむらまろ)将軍が矢を射立てたという。その木を伐採した際には80本ほどの鏃(やじり)が出たという。宮城県名取市の矢立杉は、藤原秀衡(ひでひら)が上洛(じょうらく)のためにこの地を通った際、路傍の古杉を射て、出立を祝ったという。周囲一丈二尺(約3.6メートル)もあるこの木を、のちに村人が船材にするために切ると、たくさんの鏃が出た。それでつくった船は怪音を発して壊れてしまい、人々を驚かせたという。船が怪音を発して壊れたということは、この木が神木として崇(あが)められていた証拠である。同じような例は奈良県吉野郡下北山村の矢立杉についてもいえる。大坂城の天守閣建築の際、この木を御用木として切るように命令があった。切ろうとすると斧(おの)の刃がつぶれてはかどらず、そのうえ切り屑(くず)は一夜のうちに元どおりになったという。神木であることの示現である。こうした神木に向けて、武運や前途の平穏を祈願するために矢を射立てて神に奉ったのが、そもそもの伝説のおこりと考えられる。のちにその意味が忘れられて、源頼朝(よりとも)が富士巻狩りのときに放った矢が立ったからとか、戦いのときに敵軍がここに攻め寄せ、その矢がたくさん当たったからというように、歴史的な事件や事実に結び付けて説明されるようになってきた。
[野村純一]