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石川三四郎 いしかわさんしろう

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

石川三四郎
いしかわさんしろう

[生]1876.5.23. 埼玉
[没]1956.11.28. 東京
日本における社会主義無政府主義運動の先駆者。東京法学院 (中央大学の前身) 卒業後,1902年『万朝報』記者。翌年退社,幸徳秋水,堺利彦らの平民社に参加,『平民新聞』を発行して社会主義者として日露戦争反対運動に活躍。

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デジタル大辞泉の解説

いしかわ‐さんしろう〔いしかはサンシラウ〕【石川三四郎】

[1876~1956]社会主義運動家。埼玉の生まれ。「万朝報(よろずちょうほう)」記者から平民社に入り、「平民新聞」発刊に協力。安部磯雄木下尚江らとキリスト教社会主義の雑誌「新紀元」を創刊。無政府主義運動の先駆者。著「西洋社会運動史」など。

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百科事典マイペディアの解説

石川三四郎【いしかわさんしろう】

社会運動家,アナーキスト。埼玉県生れ。東京法学院(現,中央大学)卒。1902年堺利彦らの紹介で《万朝報》に入社,翌年週刊《平民新聞》創刊に参加,日露戦争に反対。
→関連項目日本フェビアン協会平民社

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

石川三四郎 いしかわ-さんしろう

1876-1956 明治-昭和時代の社会思想家,社会運動家。
明治9年5月23日生まれ。35年万朝報(よろずちょうほう)社に,のち平民社にはいる。福田英子の「世界婦人」の発刊をたすけ,無政府主義にかたむく。昭和2年共学社をもうけ,4年「ディナミック」を創刊。戦後,日本アナキスト連盟を組織。昭和31年11月28日死去。80歳。埼玉県出身。東京法学院(現中央大)卒。旧姓は五十嵐(いがらし)。号は旭山(きょくざん),不尽。著作に「西洋社会運動史」など。

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世界大百科事典 第2版の解説

いしかわさんしろう【石川三四郎】

1876‐1956(明治9‐昭和31)
社会運動家,アナーキスト。旭山と号す。埼玉県旭村山王堂の五十嵐家の三男に生まれたが,徴兵忌避のため形式的に石川家の養子となる。1901年東京法学院(現,中央大学)在学中に海老名弾正より受洗,卒業後は堺利彦,花井卓蔵の紹介で万朝報社に入社した。03年日露戦争をめぐる非戦論に共鳴して退社し平民社で活躍。解散後は木下尚江の勧めでキリスト教社会主義の立場から《新紀元》を創刊し,また日刊《平民新聞》の発刊,福田英子の《世界婦人》の援助など多忙を極めた。

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大辞林 第三版の解説

いしかわさんしろう【石川三四郎】

1876~1956) 社会主義運動家。埼玉県生まれ。東京法学院卒。幸徳秋水らと「平民新聞」を編集。のちに安部磯雄らと「新紀元」を創刊した。第二次大戦後、日本アナキスト連盟を組織。著「日本社会主義史」

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

石川三四郎
いしかわさんしろう
(1876―1956)

アナキスト。明治9年5月23日埼玉県に生まれる。高等小学校卒業後上京、書生として苦学。東京法学院(中央大学の前身)卒業後、1902年(明治35)『萬朝報(よろずちょうほう)』に入社、理想団講演会で活躍。03年幸徳秋水、堺利彦(さかいとしひこ)らの非戦論に共鳴して『萬朝報』を辞め、平民社に入り『平民新聞』に拠(よ)り非戦論を展開。平民社解散後、木下尚江(なおえ)らとキリスト教社会主義の雑誌『新紀元』を発行した。ついで日刊『平民新聞』、『世界婦人』の編集に携わるが、筆禍事件で二度入獄。獄中で西洋社会運動史の研究に没頭、またE・カーペンターの書物を通じてアナキズムに目を開いた。大逆事件ののち、13年(大正2)日本を脱出、ベルギー、フランス、イギリスなどを転々とし、労働者として生活した。またポール・ルクリュ、E・カーペンターらとの交流を通じてアナキズム思想を深めた。20年帰国、当時のデモクラシーの風潮のなかで、自治を重視する立場からデモクラシーを「土民生活」と訳し、農民自治会の運動などにも参与した。27年(昭和2)には東京郊外の千歳(ちとせ)村に住み、共学社を創立して、自ら「土民生活」を送った。33年には北京(ペキン)に渡り中国文化に触れ、これを機に以後、東洋文化史研究に没頭した。第二次世界大戦後、46年(昭和21)日本アナキスト連盟を設立、顧問となりアナキズムの宣伝に力を注いだ。[北河賢三]
『『石川三四郎著作集』(1977~79・青土社)』

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世界大百科事典内の石川三四郎の言及

【アナーキズム】より

…このグループは1907年以来〈直接行動派〉と呼ばれるが,20年代初頭のアナ・ボル論争を経て勢力は衰退し,大正末から昭和初めにかけては無産運動の周辺部にとどまった。だが56年まで生きた石川三四郎の理論的活動や,三好十郎,埴谷雄高などの文学者の寄与は注目に値する。 アナーキズムは,国家を含むいっさいの権威を否定して個人主体の独自性を主張する点で,ゴドウィン以後にもドイツのM.シュティルナーのうちにユニークな哲学的表現を見いだすとともに,他方,スペイン,イタリア,アメリカなどの国々に多くの実践的活動家を生み出した。…

【マッツィーニ】より

… マッツィーニはリソルジメントの最大の推進者であったが,現実の結果は彼の期待に反するものとなり,失意のうちに生涯を閉じた。徳富蘇峰は明治期の書《吉田松陰》でマッツィーニを松陰の精神と横井小楠の理想を併せ備えた人物として紹介し,また石川三四郎はマルクスとは別の労働運動観に立つマッツィーニの思想に関心を示した。リソルジメント【北原 敦】。…

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