石川三四郎(読み)イシカワサンシロウ

デジタル大辞泉 「石川三四郎」の意味・読み・例文・類語

いしかわ‐さんしろう〔いしかはサンシラウ〕【石川三四郎】

[1876~1956]社会主義運動家。埼玉の生まれ。「万朝報よろずちょうほう記者から平民社に入り、「平民新聞発刊協力安部磯雄木下尚江らとキリスト教社会主義雑誌新紀元」を創刊無政府主義運動の先駆者。著「西洋社会運動史」など。

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精選版 日本国語大辞典 「石川三四郎」の意味・読み・例文・類語

いしかわ‐さんしろう【石川三四郎】

  1. 社会主義運動家。埼玉県生。「平民新聞」発刊に協力し、キリスト教社会主義を主張。大逆事件後、一時ヨーロッパに逃れ無政府主義に転じる。明治九~昭和三一年(一八七六‐一九五六

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「石川三四郎」の意味・わかりやすい解説

石川三四郎
いしかわさんしろう
(1876―1956)

アナキスト。明治9年5月23日埼玉県に生まれる。高等小学校卒業後上京、書生として苦学。東京法学院(中央大学前身)卒業後、1902年(明治35)『萬朝報(よろずちょうほう)』に入社、理想団講演会で活躍。03年幸徳秋水堺利彦(さかいとしひこ)らの非戦論に共鳴して『萬朝報』を辞め、平民社に入り『平民新聞』に拠(よ)り非戦論を展開。平民社解散後、木下尚江(なおえ)らとキリスト教社会主義の雑誌『新紀元』を発行した。ついで日刊『平民新聞』、『世界婦人』の編集に携わるが、筆禍事件で二度入獄。獄中で西洋社会運動史の研究に没頭、またE・カーペンターの書物を通じてアナキズムに目を開いた。大逆事件ののち、13年(大正2)日本を脱出、ベルギー、フランス、イギリスなどを転々とし、労働者として生活した。またポール・ルクリュ、E・カーペンターらとの交流を通じてアナキズム思想を深めた。20年帰国、当時のデモクラシーの風潮のなかで、自治を重視する立場からデモクラシーを「土民生活」と訳し、農民自治会の運動などにも参与した。27年(昭和2)には東京郊外の千歳(ちとせ)村に住み、共学社を創立して、自ら「土民生活」を送った。33年には北京(ペキン)に渡り中国文化に触れ、これを機に以後、東洋文化史研究に没頭した。第二次世界大戦後、46年(昭和21)日本アナキスト連盟を設立、顧問となりアナキズムの宣伝に力を注いだ。

[北河賢三]

『『石川三四郎著作集』(1977~79・青土社)』

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百科事典マイペディア 「石川三四郎」の意味・わかりやすい解説

石川三四郎【いしかわさんしろう】

社会運動家,アナーキスト。埼玉県生れ。東京法学院(現,中央大学)卒。1902年堺利彦らの紹介で《万朝報》に入社,翌年週刊《平民新聞》創刊に参加,日露戦争に反対。1905年,木下尚江の勧めで《新紀元》を創刊。のち日刊《平民新聞》を編集し,しばしば入獄。大逆事件後の1913年―1920年ヨーロッパなどを放浪アナーキズム思想を深める。帰国後はアナーキズム思想の啓蒙運動に従事,1929年《ディナミック》創刊。著書《西洋社会運動史》等。
→関連項目日本フェビアン協会平民社

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改訂新版 世界大百科事典 「石川三四郎」の意味・わかりやすい解説

石川三四郎 (いしかわさんしろう)
生没年:1876-1956(明治9-昭和31)

社会運動家,アナーキスト。旭山と号す。埼玉県旭村山王堂の五十嵐家の三男に生まれたが,徴兵忌避のため形式的に石川家の養子となる。1901年東京法学院(現,中央大学)在学中に海老名弾正より受洗,卒業後は堺利彦,花井卓蔵の紹介で万朝報社に入社した。03年日露戦争をめぐる非戦論に共鳴して退社し平民社で活躍。解散後は木下尚江の勧めでキリスト教社会主義の立場から《新紀元》を創刊し,また日刊《平民新聞》の発刊,福田英子の《世界婦人》の援助など多忙を極めた。その間07年,10年の2度筆禍事件で入獄した。大逆事件後,いわゆる〈冬の時代〉に入ると13年日本を脱出しフランス,イギリス,ベルギー,モロッコなど各地を訪れ,その間P.ルクリュ夫妻,哲学者E.カーペンターらと会ってアナーキズム思想を深めた。20年に帰国,25年には下中弥三郎,大西伍一らと農民自治会を結成し,また無政府主義の啓蒙のため29年《ディナミック》を発刊した。34年同誌休刊後は東洋文化史の研究に没頭した。戦後は日本アナキスト連盟の結成に参加。《社会美学としての無政府主義》(1932)など著書多数,著作集もある。
執筆者:

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20世紀日本人名事典 「石川三四郎」の解説

石川 三四郎
イシカワ サンシロウ

明治〜昭和期の社会運動家,アナーキスト,評論家



生年
明治9年5月23日(1876年)

没年
昭和31(1956)年11月28日

出生地
埼玉県児玉郡旭村山王堂(現・本庄市山王堂)

旧姓(旧名)
五十嵐

別名
号=石川 旭山

学歴〔年〕
東京法学院(現・中央大学)〔明治34年〕卒

経歴
明治35年万朝報社に入社し、36年平民社に入社。37年「消費組合の話」を刊行し、非戦運動、社会主義運動をする。38年「新紀元」を創刊し、40年「世界婦人」「平民新聞」を刊行。40年から43年にかけて投獄される。大正2年から9年にかけてヨーロッパを放浪。帰国後はアナーキストとして多くの本を著し、関東大震災後、日本フェビアン協会、農民自治会に参加。昭和2年東京・世田谷で半農生活に入る。4年「ディナミック」を創刊。戦時中は東洋文化史の研究に専念。戦後は21年に日本アナキスト連盟の結成大会で連盟顧問に選ばれる。著書は多く、主なものに「哲人カアペンター」「西洋社会運動史」「古事記神話の新研究」「土民芸術論」「東洋文化史百講」「わが非戦論史」「自叙伝」などがある。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「石川三四郎」の意味・わかりやすい解説

石川三四郎
いしかわさんしろう

[生]1876.5.23. 埼玉
[没]1956.11.28. 東京
日本における社会主義,無政府主義運動の先駆者。東京法学院 (中央大学の前身) 卒業後,1902年『万朝報』記者。翌年退社,幸徳秋水,堺利彦らの平民社に参加,『平民新聞』を発行して社会主義者として日露戦争反対運動に活躍。平民社解散後は安部磯雄,木下尚江とともにキリスト教社会主義の雑誌『新紀元』を編集,また日刊『平民新聞』,福田英子の『世界婦人』の編集を援助。 13年渡欧,無政府主義思想を深め 20年帰国後,仏文学などを翻訳。 33年北京に行き,東洋文化に関心をもち,以後東洋史研究に専念。著書『日本社会主義史』および『哲人カーペンター』 (1912) ,『古事記神話の新研究』 (35) ,『東洋文化史百講』 (4巻,39) など。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「石川三四郎」の解説

石川三四郎 いしかわ-さんしろう

1876-1956 明治-昭和時代の社会思想家,社会運動家。
明治9年5月23日生まれ。35年万朝報(よろずちょうほう)社に,のち平民社にはいる。福田英子の「世界婦人」の発刊をたすけ,無政府主義にかたむく。昭和2年共学社をもうけ,4年「ディナミック」を創刊。戦後,日本アナキスト連盟を組織。昭和31年11月28日死去。80歳。埼玉県出身。東京法学院(現中央大)卒。旧姓は五十嵐(いがらし)。号は旭山(きょくざん),不尽。著作に「西洋社会運動史」など。

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「石川三四郎」の解説

石川三四郎
いしかわさんしろう

1876.5.23~1956.11.28

明治・大正期の社会運動家・無政府主義者。埼玉県出身。号は旭山。東京法学院(現,中央大学)在学中に海老名(えびな)弾正から受洗,卒業後「万朝報(よろずちょうほう)」記者となる。平民社に加わり,「新紀元」「日刊平民新聞」「世界婦人」に関係。大逆事件後,1913年(大正2)渡欧し,哲学者E.カーペンターらの影響をうけた。20年に帰国後,無政府主義の啓蒙に努めた。

出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報

旺文社日本史事典 三訂版 「石川三四郎」の解説

石川三四郎
いしかわさんしろう

1876〜1956
明治末期〜昭和期の社会主義者
埼玉県の生まれ。海老名弾正のもとで洗礼を受ける。『万朝報』記者を経て1903年平民社に参加し,日露戦争の際非戦論を主張。のち木下尚江らとともにキリスト教社会主義の立場で活動した。大逆事件('10)後は実践活動から遠ざかり,アナーキズムの理論家として知られた。主著に『西洋社会運動史』など。

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367日誕生日大事典 「石川三四郎」の解説

石川 三四郎 (いしかわ さんしろう)

生年月日:1876年5月23日
明治時代-昭和時代の社会運動家;評論家
1956年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の石川三四郎の言及

【アナーキズム】より

…このグループは1907年以来〈直接行動派〉と呼ばれるが,20年代初頭のアナ・ボル論争を経て勢力は衰退し,大正末から昭和初めにかけては無産運動の周辺部にとどまった。だが56年まで生きた石川三四郎の理論的活動や,三好十郎,埴谷雄高などの文学者の寄与は注目に値する。 アナーキズムは,国家を含むいっさいの権威を否定して個人主体の独自性を主張する点で,ゴドウィン以後にもドイツのM.シュティルナーのうちにユニークな哲学的表現を見いだすとともに,他方,スペイン,イタリア,アメリカなどの国々に多くの実践的活動家を生み出した。…

【マッツィーニ】より

… マッツィーニはリソルジメントの最大の推進者であったが,現実の結果は彼の期待に反するものとなり,失意のうちに生涯を閉じた。徳富蘇峰は明治期の書《吉田松陰》でマッツィーニを松陰の精神と横井小楠の理想を併せ備えた人物として紹介し,また石川三四郎はマルクスとは別の労働運動観に立つマッツィーニの思想に関心を示した。リソルジメント【北原 敦】。…

※「石川三四郎」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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