中世の座の一つ。米座は,生活必需品である米を扱う関係上,中世より,京都に限らず大都市には成立していたと思われる。奈良では応永(1394-1428)末ごろ南市に米座,魚座,塩座など30余座があり,大宰府門前にも米屋,金屋,小間物座等6座があった。戦国期今川領では駿河今宿で米座が独占権を認められている。首都京都には,左右近衛府,左右兵衛府の四府に属し鳳輦(ほうれん)をかつぐ駕輿丁(かよちよう)座の米座があった。四府駕輿丁座の商人が扱う,錦,絹,呉服,酒麴,酒,唐物,紙折敷等々の商品の中でも,米は最も重要であり,商人の数も1438年(永享10)には120人と最大であった。米商人としては,ほかに石清水八幡宮・春日神社の神人(じにん),幕府侍所雑色(ぞうしき)・小舎人(こどねり),政所下部等もいたが,戦国期の天文(1532-55)ごろには駕輿丁座米商人の独占に統一されてしまう。それは,駕輿丁座の米座は年額20貫文を禁裏に貢納する以外の負担を拒否するほどの強力な課役減免の態度を保持し,対立する米商人を吸収あるいは打倒していった結果,営業独占権を獲得したためであると考えられる。いっぽう1474年(文明6)ごろから米場の存在が確認され,三条室町と七条の上下2ヵ所に米場座が成立する。沙汰人が管理する米場座には,諸方から京に運搬された米穀が集積されて,小売商人や消費者に売られた。この米場座を組織していたのは,四府駕輿丁座米商人であると考えられる。1431年(永享3),七口(ななくち)から洛中に入る米を封鎖し,洛中を飢饉におとしいれたのは,洛中米商人の結託を示すが,その中心に駕輿丁座の米商人があった。米場座の販売独占権は永正年間(1504-21)ごろまで確認され,米場そのものは近世初頭まで存続する。米場の富裕商人が,のちに米問屋に成長したものと思われる。
→米市 →米問屋
執筆者:田端 泰子
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
中世における米販売の座。米屋座ともいう。奈良、京都、八幡(やわた)、遠江(とおとうみ)見付(みつけ)などにみられる。京都では南北朝~室町期に、諸権門付属の米商人が結合して米価を操作した。1438年(永享10)大炊寮(おおいりょう)がこれらに米屋課役をかけたところ、120人に達していた四府駕輿丁(しふかよちょう)座の米売り全員で20貫文に値切った話は有名。彼らが母胎となり、他を吸収して、三条と七条に、職種別結合の上・下米屋座が成立した。初見は1539年(天文8)で、禁裏(きんり)公用以外は課役が免除され、座中法度を定め、洛中(らくちゅう)に専売権を行使した。のち所司代前田玄以(げんい)もそれを公認しているが、豊臣(とよとみ)秀吉の楽座令によるものか、天正(てんしょう)年間(1573~92)に廃絶された。
[脇田晴子]
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…そうした中で,以前の編成とは異なった商品ごとの組織が生まれはじめた。その代表は米座である。15世紀前半,四府駕輿丁に属する120人余の米売が穀倉院に対する課役を請け負っていたが,約100年後に彼らは上下京の米座のうち下京の米座を構成していた。…
※「米座」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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