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米沢彦八(初代) よねざわ ひこはち

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

米沢彦八(初代) よねざわ-ひこはち

?-1714 江戸時代前期-中期の落語家。
元禄(げんろく)ごろから大坂の生玉(いくたま)神社の境内で辻噺(つじばなし)を興行して評判をとる。当世風俗や役者の物真似を得意とし,上方落語界の中心として活躍した。正徳(しょうとく)4年6月3日死去。著作に噺本(はなしぼん)「軽口御前男」など。

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朝日日本歴史人物事典の解説

米沢彦八(初代)

没年:正徳4.6.3(1714.7.14)
生年:生年不詳
元禄期(1688~1704)の大坂で活躍した落語家。豊笑堂。京都で辻噺を創始した露の五郎兵衛にやや遅れて活躍。大坂落語の祖といわれる。生玉神社に小屋を構え,当世仕方物真似の看板の下に落噺や役者・世相の物真似を得意とした。ありあわせの道具で扮装した俄大名がことに名高く,のちの「俄」という芸能に通じる演技であった。彼の咄は『軽口御前男』などにまとめられ,先行笑話に頼らず,落ちに重点を置いた新鮮な咄が多い。名古屋の興行師に招かれ同地で客死。近松門左衛門作「曾根崎心中」で,遊女お初を連れ出した田舎客が見にいったことになっているのも,彦八の物真似であった。<参考文献>肥田晧三「大阪落語」(『日本の古典芸能9/寄席』)

(荻田清)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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世界大百科事典内の米沢彦八(初代)の言及

【寄席】より


[大阪の寄席]
 大坂の寄席は,江戸よりも早くできた。初代米沢彦八(?‐1714)はすでに元禄のころに生玉(いくたま)社境内で葭簀張りの興行を行ったようであり,松田弥助や初代桂文治は,寛政から文化・文政のころにかけての寄席興行の基礎を固めている。天保から弘化(1844‐48)のころに桂(かつら)・林家(はやしや)・笑福亭(しようふくてい)・立川(たてかわ)のいわゆる上方四派の噺家たちが大いに活躍したために大坂の寄席の形態は完成され,寄席興行はすこぶる隆盛であった。…

【落語】より

…その後まもなく,〈はなし〉を〈軽口〉というようになるとともに,はなしのおもしろさを効果的に結ぶ〈落ち〉の技術もみがかれていった(後出〈落ちの型〉を参照)。
[辻咄時代]
 落語が飛躍的に進歩したのは,延宝・天和年間(1673‐84)ごろから京都で辻咄(つじばなし)をはじめた露(つゆ)の五郎兵衛と,おなじころ江戸で辻咄をはじめた鹿野(しかの)武左衛門,貞享年間(1684‐88)ごろから大坂で辻咄をはじめた米沢彦八という3人の職業的落語家の功績だった。 辻咄というのは,街の盛場や祭礼の場によしず張りの小屋をもうけ,演者は広床几(ひろしようぎ)の上の机の前で口演し,聴衆は床几に腰をかけて聴くという形式をとり,晴天に興行して道ゆく人の足をとめ,咄が佳境にはいったころを見はからって,銭を集めて回るという庶民的演芸だった。…

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