航空工学者。日本のロケット開発の中心として活躍、宇宙科学技術の基礎を築いた。東京の生まれ。1935年(昭和10)東京帝国大学工学部航空工学科卒業、中島飛行機に入社し、戦闘機「隼(はやぶさ)」の設計作業に参加した。1941年東大助教授、1948年東大教授となる。宇宙開発の重要性にいち早く着目し、1955年ペンシル・ロケットの打上げに成功、日本の宇宙開発に先鞭(せんべん)をつけた。1964年東大宇宙航空研究所(1981年から文部科学省宇宙科学研究所。2003年10月、宇宙科学研究所は宇宙開発事業団、航空宇宙技術研究所と統合して独立行政法人、宇宙航空研究開発機構となる)に移り、各種ロケットの開発を進めた。1967年東大を退職、シンクタンク「組織工学研究所」を設立、海洋開発などを手がけた。著書に『逆転の発想』『第三の道』などがある。チェロの演奏、クラシックバレエなど多彩な趣味でも知られた。
[編集部]
『『逆転の発想』(1974/新装版・2011・プレジデント社)』▽『糸川英夫著『新逆転の発想』上下(PHP文庫)』▽『『第三の道――インドと日本とエントロピー』(中公文庫)』
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昭和・平成期の航空工学 東京大学組織工学研究所所長。
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…アメリカのG.K.オニールの提案したスペースコロニーはその代表的なものであり,これらが行われるようになって,初めて宇宙開発はほんとうに開発という意味をもつことになる。
【日本の宇宙開発】
日本の宇宙を目ざしたロケット研究は,1955年東京大学生産技術研究所の糸川英夫のグループによるペンシルロケットの打上げに始まる。このロケットは直径1.8cm,長さ23cmの固体ロケットで,都下国分寺で水平発射実験を繰り返して,ロケットの基本的な特性を明らかにしていった。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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