百科事典マイペディア 「芥川城」の意味・わかりやすい解説
芥川城【あくたがわじょう】
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摂津国北東部の要地,島上郡芥川宿(現,大阪府高槻市)付近にあった城。芥川宿を本拠とし,鎌倉幕府の御家人で南北朝時代以降は代表的な国人であった芥河(川)氏の居館か,同時に城館でもあったと推定される第1期芥川城(平城)と,背後の山地,通称三好山に築かれた第2期芥川城(山城)がある。芥河氏の本家は応仁の乱中に滅亡し城館もいったん荒廃したが,その後細川政元が再建をめざし,被官の能勢頼則を配した。頼則はついで1516年(永正13)ごろ〈新城〉として山城を築いたことは,連歌師宗長の句(《那智籠》)によって確認される。その後北摂の要城として細川氏や三好氏に重視され,城主も戦局の推移につれて交代した。53年(天文22)三好長慶が,一族で芥川氏を称していた孫十郎を追って芥川山城に入り,60年(永禄3)まで三好政権の本拠とした。その後織田信長の畿内制覇の後,破却された。山城は標高182m,三方を芥川に囲まれた要害の地にあり,本丸・郭跡の石垣・土塁・堀切など,遺跡が残されている。
執筆者:熱田 公
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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