江戸初期の儒学者中江藤樹(とうじゅ)の著。1640年(寛永17)から翌41年にかけて、藤樹33~34歳のおりに書かれた。天君(てんくん)という師と躰充(たいじゅう)という門人との問答の体で記されており、上(本・末)、下(本・末)の2巻からなる。成立時期は、藤樹の「中期」に属し、藤樹が大乙(たいいつ)神信仰を始めた時期とちょうど重なる。儒道、五倫(ごりん)の道、真の学問と偽の学問、文と武、士道、軍法、仏教、神道などが論ぜられているが、なかでも心学(しんがく)の提唱と普遍道徳としての孝説が注目される。すなわち藤樹は、人が単に外的規範に形式的に従うことをよしとはせず、人の内面(心)の道徳的可能性を信頼し、人が聖人の心を模範として自らの心を正しくすることこそが、人に真の正しい行為と正しい生き方をもたらすと説き(心学の提唱)、また父祖への孝のみでなく、いっさいの道徳を包括するところの孝の道を説いた。
[玉懸博之]
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中江藤樹(とうじゅ)の著書。1640~41年(寛永17~18)頃成立。上下2巻とその後加えられた改正編からなる。老翁と門人の問答の形で朱子学の道徳理論を孝の道理という理解しやすい表現で説いている。藤樹自身はこの書の内容を不満として公刊の意図はなかったが,没後の49年(慶安2)無断で刊行されたため,翌年門人の手で改正編を付して出版され,江戸時代を通じて広く読まれた。「岩波文庫」「日本思想大系」所収。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
…道という言葉自体が備えているこの二重性が,奥底のところでこの概念のあり方を規定していることを見落とすべきではない。〈子孫に道をおしへずして子孫の繁昌をもとむるは,あしなくて行ことをねがふにひとし〉(中江藤樹《翁問答》)は,道の意味するところをよく表している用例だが,上記の2義を想定してこれをみることが留意すべき点である。とりわけ,究極のところ道は実在するものであることを明らかな前提となしえて言述が組み立てられている点はおさえておく必要がある。…
※「翁問答」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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