ヤンバン(その他表記)yangban

改訂新版 世界大百科事典 「ヤンバン」の意味・わかりやすい解説

ヤンバン (両班)
yangban

朝鮮高麗李朝において,官僚を出すことができた最上級身分の支配階級。この語は中国に起源をもち,元来は国家の公的会合における官僚の2列の並び方のことであり,東班(文官)と西班(武官)を意味する。両班の形成は官僚制が成立した高麗初期からみられるが,官僚の世襲化とともにしだいに社会的・身分的に特権化していき,李朝初期には血縁的身分として固定化される傾向が顕著になった。また14世紀ごろからさまざまな契機によって両班が増加し,朱子学の浸透とともにいわゆる両班社会を形成した。高級官僚になるための科挙は常民にも開かれていたが,実質的には両班に独占されていた。こうして両班は政治権力を完全に掌握し,相互に婚姻関係を結ぶことによって階層的再生産を行うのである。階層内では父系血縁関係による同族意識が強く,系譜を網羅した族譜を作成してみずからの地位を誇示し,排他性を保った。このような基盤のうえに彼らは,軍役・賦役・税の免除や形罰における優遇措置などの特権を享受していた。

 官僚制度が確立していく中で,中央の高官に到達する者とそうでない者との差が拡大し,両班の内部でも階層分化がおきた。上級両班は首都に居住するが,出身地(本貫)とは密接な関係をもち,首都で京在所を構成して出身地をコントロールしようとした。地方在住両班は郡県ごとに留郷所(のち郷庁)を組織し,自治的な規約(郷約)によって組織を防衛し,裁判権をも行使して一般民衆を支配した。彼らは地方官(守令)の支配を補佐すべき立場におり,実務を担当する吏員郷吏。〈胥吏(しより)〉の項を参照)の指揮監督を行って地方行政の末端を担っていた。李朝中期以降になると,地方在住両班は土班,郷班と呼ばれ,首都で官僚となった両班(京班)からは差別されるようになる。しかし彼らは地方社会では支配者であり,地方政治は彼らの利益に沿うかたちで行われた。国家権力を背景とした地方官も,このような彼らの支配力に掣肘せいちゆう)されることが多かった。両班は地主として広い土地を支配し,また多くの奴婢を所有して大きな経済力をもっていた。このように政治的・経済的・社会的支配力が両班に集中したことが,朝鮮の近代化を大きく規定したと考えられる。1894年の甲午改革によって身分解放が行われ,両班特権の廃止が宣言された。こうして両班の中には没落する者も出たが,彼らの実力は容易に消滅することがなく,社会意識もなかなか変化しなかった。
儒教[朝鮮] →李朝
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ヤンバン」の意味・わかりやすい解説

ヤンバン(両班)
ヤンバン
yangban; ryangban

朝鮮,高麗の特権支配階級,朝鮮王朝 (李朝) 時代の上位身分。高麗の官僚組織は 10世紀末にほぼ成立した東班 (文班) と西班 (武班) の両班体制をとっていた。両班はこの体制の中核をなしており,儒学を業とし,科挙によって官吏に登用されて主要な官職を独占し,兵役,賦役,地租以外の諸税は免除されるなど諸般の特権をもつ大土地所有者であった。しかし両班のなかでも文武差別,門閥差別,嫡子と庶子の差別があった。この官僚組織が固定し,両班が世襲化するにつれて,両班と称するものが高級官僚で大土地を所有する者から地方の中小地主まで拡大した。朝鮮王朝になると,両班の数が激増するが,その多くは地方地主で,17世紀後半以後,農民層にも両班がふえ,19世紀になると両班と良民との数がほぼ等しくなる地域も少くなかった。そのため両班は社会意識では良民の上位にあっても,その経済状況は良民に及ばないものが多数現れた。高宗 31 (1894) 年の甲午の改革の際に,法制上この階級はなくなったが,実質的には 1945年までその権威は存続した。

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百科事典マイペディア 「ヤンバン」の意味・わかりやすい解説

ヤンバン(両班)【ヤンバン】

朝鮮の高麗(こうらい)や李朝の特権身分たる官僚階級。高麗時代から官僚は文班(東班)と武班(西班)に分かれていたので,両班の称が起こった。特に李朝では儒教(朱子学)の浸透とともに,科挙制度と結びついて官職や官位を独占し,階層として固定化されるようになった。さまざまの特権をもって権力を振るい,父系血縁関係による同族意識が強く,系譜を証する族譜を作って地位を誇示した。1894年の甲午改革によって両班特権の廃止が宣言されたが,現代においても韓国では両班的な規範意識が残っている。
→関連項目パンソリ李朝(朝鮮)

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世界大百科事典(旧版)内のヤンバンの言及

【儒教】より

…ただ朱子学以前の儒教(三国時代から高麗朝後期までの)は支配思想であった仏教と共存して存在できた儒教であり,哲学は仏教にゆだね,もっぱら詩文の才を政治・外交面で発揮した文詞・文学儒教であったので,朝鮮儒教の真面目は儒教が支配思想となった李朝500年に現れたといえる。 まず朝鮮における儒教の特徴は文臣優位の両班(ヤンバン)の儒教である。両班は李朝の支配階級(在地の中小地主層)で,力役や兵役免除の特権をもち,官職以外には農工商のいかなる職業にも従事しなかった。…

【村】より

…しかしむらは尊位・頭民などと呼ばれる長老が治める独自の世界であった。現存の史料からみると,むらには人口数十人規模のものが多く(100人を超えるものは少ない),一般に両班(ヤンバン),常民,奴婢など各身分が混住していた。しかし駅集落には駅吏身分の者が多いなど,同一身分の人々が多く居住するむらもあり,とくに両班は同族で集住する傾向が強く,いわゆる同姓部落が数多く存在して,大規模なものになると広大な地域を垣で囲って集落を作り,一族の子弟教育のための学校まで建てるなど,周辺の民衆を威圧していた。…

【養子】より

…したがって養子の縁組は姓も本貫も同じくする同姓同本の近親内の,しかも子の世代に当たる者に限られた。とりわけ上層の両班(ヤンバン)社会においては,老後の奉養と死後の祭祀を担当する後継者を確保する方策として養子が採られた。養子を迎える最大の理由は,族譜上の継承と祖先祭祀にあるが,一方では〈麦一升あれば養子に行かない〉ということわざに示されるように,家産も考慮された。…

※「ヤンバン」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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