改訂新版 世界大百科事典 「自由学園」の意味・わかりやすい解説
自由学園 (じゆうがくえん)
1921年に羽仁もと子が夫の吉一とともに東京都豊島区雑司ガ谷に創設した学園。羽仁は1903年に《家庭之友》(のちに《婦人之友》と改題)を創刊,主宰していたが,日本の家庭生活の近代化は教育をとおしてこそ実現できると信じて学園をつくった。キリスト教精神にもとづき,〈思想しつつ生活しつつ祈りつつ〉を標語として自治と労働を基調とする教育を追求した。当初は女子中学校として26名の女生徒で出発し,カリキュラムは文部省令にはよらず五つの家族形態に分け,日常生活を小集団で自律的に管理させていく方針をとった。28年初等部を開設,30年からは現在の東京都東久留米市に移転,35年には男子部を設置し国際的新教育運動とも交流した。また,農村セツルメントを設立したり,各地に〈友の会〉というサークルをつくって生活の合理化をすすめ,社会改造と教育とを結びつけようとした。現在は初等部から最高学部(50年,51年に4年制と2年制を設置。大学・短期大学に相当する)段階にいたる総合学園になっている。
執筆者:中野 光
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報