子供を主体的生活者として位置づけ、その生活的課題や要求や活動を組織し発展させつつ、実生活に必要な知識・技能・態度を「生きて働く学力」として形成しようとする教育。「生活による、生活のための教育」をいう。実生活から遊離した観念的な知識を子供に注入することを主とした権威主義、形式主義、注入主義の教育に対するものである。しかし、その概念内容は時代や社会によって、また主張者によって異なり、けっして一義的ではない。
[大槻和夫]
歴史的にみると、生活教育の最初の主張者はペスタロッチであるとされている。彼の有名な提言「生活が陶冶(とうや)する」は、その思想の端的な表現である。その後、彼の思想は多くの人々によって受け継がれ、試行されたが、とくに重要なのは、デューイの教育思想とその試行である。彼は、資本主義社会の成熟に伴い、家庭が生産の場であることをやめ、教会の教育的機能が退化していく状況のなかにあって、社会生活の典型的活動である「作業」を学校へ導入し、学校を社会化し生活化しようとした。しかし、その生活=経験の重視は、プラグマティズムの経験主義に立脚しており、主観主義、心理主義、機能主義に陥っているという批判もなされている。
[大槻和夫]
日本の場合には、一方において、上からの国民支配のための教化をいっそう有効にするための手段として、子供の興味や経験を重視するという形の生活教育もあったが、他方では、大正年代末から昭和にかけて、日本資本主義の危機が高まるようになって、生活綴方(つづりかた)にみられるような、生活現実を直視し、リアルな生活認識と生活意欲を形成しつつ、子供たちを解放しようとする生活教育が成立した。それは、厳しい「生活台」の上にたつ、自由とリアリズムと集団主義を原理とする、「生活で生活を教える教育」であった。その具体的な進め方については、原理的な論争も活発に行われ、今日においても課題として残されている。
第二次世界大戦後、アメリカからプラグマティズムの教育が移入され、一時、「なすことによって学ぶ」経験主義の生活教育が注目され、実践された。一方で、政治的・社会的環境の変動に伴い、権力的支配や社会的抑圧からの解放を目ざす歴史の変革主体として、国民大衆の子供たちが自らを形成していくのを助ける教育活動としての生活教育の必要性が主張されるようになった。そうした立場から、戦前のリアリズムの生活教育の継承と発展が図られるに至った。そこでは、子供たちが生きる生活現実と科学ないし文化との有効な関連づけが重視され、歴史変革の主体として「生活に生きて働く学力」の形成が目ざされた。
[大槻和夫]
その後1996年(平成8)7月、中央教育審議会(中教審)は、第一次答申「21世紀を展望した我が国の教育の在り方について」を提出し、子供に「生きる力」と「ゆとり」を与えるよう提案した。ここでいう「生きる力」とは、
(1)自分で課題を見つけ、自ら学び、主体的に判断し、行動し、よりよく問題を解決する資質や能力
(2)自らを律しつつ、他人とともに協調し、他人を思いやる心や感動する心
(3)たくましく生きるための健康や体力
をいう。この中教審答申を受けて、教育課程審議会(現中央教育審議会初等中等教育分科会)は、1998年7月、学校教育における教育課程の基準の改善について答申し、多くの知識を一方的に教え込む教育を転換し、子どもたちが自ら学び自ら考える力を育てることなどを基本的視点として、教育課程改善の提言を行った。その一環として、新たに「総合的な学習の時間」を、小・中・高等学校のすべてに設けることが提言され、文部省(現文部科学省)は1998年12月、学習指導要領の改訂を行った。この改訂によって新設された「総合的な学習の時間」は、「生きる力」の育成を直接の目的として、
(1)国際理解、情報、環境、福祉・健康などの横断的・総合的な課題
(2)児童(生徒)の興味・関心に基づく課題
(3)地域や学校の特色に応じた課題
などに取り組む学習であり、体験的・問題解決的な学習と、多様な学習活動や指導体制のくふうが必要であるとされている。この総合的な学習は、日本における生活教育運動の流れのなかから生まれたものではないが、子供を学びの主体に位置づけていること、学習を生活と結びつけ、「生きる力」を育てようとしていること、子供の主体的・問題解決的な学習活動を重視していることなど、生活教育の流れと重なる面もあり、実践のあり方が注目される。
[大槻和夫]
『柳久雄著『生活と労働の教育思想史』(1962・御茶の水書房)』▽『船山謙次著『生活教育論』(1960・麦書房)』▽『日本教職員組合編『教育課程改革試案――わかる授業楽しい学校を創る』(1976・一ツ橋書房)』▽『日本生活教育連盟編『日本の生活教育50年――子どもたちと向き合いつづけて』(1998・学文社)』▽『高浦勝義著『総合学習の理論・実践・評価』(1998・黎明書房)』▽『児島邦宏著『教育の流れを変える総合的学習――どう考え、どう取り組むか』(1998・ぎょうせい)』▽『川合章著『生活教育の100年――学ぶ喜び、生きる力を育てる』(2000・星林社)』
教育を単に知識の教授に限定せず,子どもの性格に根ざし,子どもを主体的な生活者に育てようとする教育。その思想的源流はJ.J.ルソーに,実践的源流はJ.H.ペスタロッチに求めることができる。すなわち,ルソーは《エミール》(1762)で,当時のフランスの特権階級の教育がいかに人間の自然の発達をゆがめているかをするどく告発し,大地の上で額に汗して働く農民の生活こそが教育的機能を果たしている,と指摘し,〈農夫のように働き哲学者のように思索する〉人間の育成を教育の目標として示した。またペスタロッチも,労働が人間をつくるという事実を重視し,〈生活が陶冶する〉教育のあり方を追求した。しかし,その後に発展した近代公教育は彼らのめざしたものとは逆に,民衆の生活要求や子どもの内面的な意欲とは無関係に知識を一方的に注入したり,行動を画一的に管理する傾向をはなはだしいものにした。それは,教育が資本主義的生産力を高めたり,富国強兵政策の道具として利用されたからでもあった。〈生活教育〉の名によって主張された教育は,そうした教育に対する批判や抵抗としての教育でもあった。たとえば,アメリカのJ.デューイは19世紀の終りから20世紀の初頭にかけて,学校が生活遊離的になっている現実を批判し,みずからシカゴ大学に実験小学校を創設して,学習と生活との統一をめざす学校改革論を展開した。ヨーロッパでも〈生活による生活にまでの教育〉という主張が多くの教育者の共鳴するところとなり,〈生活学校〉の建設をめざす運動が展開された。それらは〈新教育〉ともいわれたが,その基本的性格は,このような意味における〈生活教育〉にほかならなかった。
日本では,とくに1920年代以後に〈生活〉という概念が教育改革をめざす人々のあいだでしばしば使われるようになった。はじめのころ,それは〈生活経験〉と同じような意味で,子どもの興味や関心を基本にして教育の方法を問いなおすことに努力が注がれた。30年代に入ると,東北や北海道の貧しい農村の学校教育にうちこんでいた教師たちは,厳しい生活現実とのたたかいを軸にして教育のあり方を根本的に変革しようとした。いわゆる生活綴方の教育は,文章表現の指導と同時に生活認識の指導を意図したのであった。
第2次大戦後の教育において大きな影響力をもったのは,アメリカのプラグマティズムにおける生活経験主義であった。47年の文部省〈学習指導要領〉が生活単元学習といわれる教育をすすめたこともあって,生活経験にもとづく教育が普及した時期があった。しかし,その経験主義は科学の発展やその成果を教えることを軽視するものとして民間教育研究運動においても批判の対象となり,さらに60年代以降では経済成長を支える能力主義的教育によっても排除されることになった。そのようななかで,〈生活教育〉の名において,国民の生活現実を直視し,生活を向上発展させようと努めている人々と連帯して,教育のあり方を追求する動きもまた強まっている。
→新教育
執筆者:中野 光
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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