興法寺(読み)こうぼうじ

日本歴史地名大系 「興法寺」の解説

興法寺
こうぼうじ

[現在地名]東大阪市上石切町二丁目

鷲尾わしお山の中腹にある。真言宗醍醐派、山号鷲尾山、本尊三面千手観音。寺伝によると役行者開基で、行基が本尊三面十一面千手観音像を安置、弘法大師空海が弘仁六年(八一五)当山で苦行し歓喜天像を安置。のち勧修寺宮の院堂となり朝廷より金剛乗こんごうじよう院の称を賜る。貞和―観応年間(一三四五―五二)高師直に寺領を没収され一山焼失するが、明徳四年(一三九三)畠山基国が修復。再び兵火で灰燼に帰したが永禄年間(一五五八―七〇)大西丹後守が諸堂を修築して参道に桜樹を植え、徳川家康は寺領五〇石を与え、大坂城代の交替ごとに参詣があったと伝える。


興法寺
こうぼうじ

[現在地名]弥栄町字吉沢

小原おばら(通称権現山)の山頂近くに位置。真言宗、山号小原山。本尊聖観音。

寺記は和銅元年(七〇八)遍然の開基といい、智恩ちおん(現宮津市)に現存する湯舟は正応三年(一二九〇)願主物部家重が山川貞清に命じ、興法寺に鋳造寄進したものであった。天文九年(一五四〇)火災に遭い、元禄年間(一六八八―一七〇四)縁城えんじよう(現中郡峰山町)の応爵が堂を再建、宝暦年間(一七五一―六四)には慧竜が諸堂を復興し再中興の祖とされた。天保元年(一八三〇)本堂焼失、同年再建したという。


興法寺
こうぼうじ

[現在地名]小山市本郷町二丁目

小山城跡の北東にある。天台宗、徳王山妙楽院と号し、本尊は阿弥陀如来。寺伝によれば嘉祥二年(八四九)円仁が小山庄に立寄り創建、天慶三年(九四〇)藤原秀郷によって小山城の北側に再建されたという。永禄二年(一五五九)に僧賢舜が当寺で宗要抄(松吟)のうちの五時帖を、同一一年には佐野惣宗そうしゆう寺の僧忠舜が十妙義案立(本時四教)を書写した(叡山文庫)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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