芦田恵之助(読み)アシダエノスケ

デジタル大辞泉 「芦田恵之助」の意味・読み・例文・類語

あしだ‐えのすけ〔‐ヱのすけ〕【芦田恵之助】

[1873~1951]国語教育家教師兵庫生まれ。国語科読み方教育と綴り方教育に独自の理論展開。著「綴り方教授」「読み方教授」。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「芦田恵之助」の意味・わかりやすい解説

芦田恵之助
あしだえのすけ
(1873―1951)

大正・昭和初期に活躍した国語教育者。号は恵雨(けいう)。兵庫県に生まれる。兵庫県、京都府訓導などを経て、1899年(明治32)東京高等師範付属小学校準訓導、のち訓導。樋口勘次郎(ひぐちかんじろう)(1872―1917)の思想的影響を受け、綴方(つづりかた)教授の改革にあたる。また坐禅(ざぜん)主義者岡田虎二郎(とらじろう)(1872―1920)について静坐(せいざ)を修行自己内省の方法を改革に生かそうと試みる。旧来の課題主義による範文模倣的な綴方教授に対し、自由に課題を選ばせ、自由に記述させる随意選題主義を唱え、後の生活綴方教育運動の一源流となる。また読みと思考を中心にした読み方教授法の改革をも試みた。1917年(大正6)文部省嘱託を兼ね『尋常小学国語読本』を編集し、また1921年、朝鮮総督府編集官として『普通学校国語読本』の、また1924年には南洋庁嘱託として『南洋諸島国語読本』の編集にあたった。1925年の退職後はもっぱら全国を授業行脚(あんぎゃ)した。『同志同行』誌(1930創刊)を発行主著に『綴り方教授』(1913)、『綴り方教授に関する教師の修養』(1915)、『読み方教授』(1916)などがある。

[尾崎ムゲン]

『中内敏夫著『生活綴方成立史研究』(1970・明治図書)』

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改訂新版 世界大百科事典 「芦田恵之助」の意味・わかりやすい解説

芦田恵之助 (あしだえのすけ)
生没年:1873-1951(明治6-昭和26)

教育家。兵庫県生れ。苦学して,1899年東京高等師範学校付属小学校の訓導となる。1921年同校を中途退職,《朝鮮国語読本》《南洋諸島国語読本》の編集に携わる。25年いっさいの公職を退き全国教壇行脚を始め,30年雑誌《同志同行》を発行。行脚中倒れ,郷里の法楽寺に没す。国語科読方の指導過程の定型化の仕事で知られた人物だが,より大きい影響を後世に残したのは,〈綴方は自己を綴ることである〉としたその綴方(作文)論である。高師在職中,過重な勉学同僚のねたみで神経衰弱になる。己を空しうして自己を綴ると説くその綴方論は,静座の力で立ち直った自身の体験から得られた。これが注目されたのは,そこに,国家のしゃにむにの近代化政策の下に苦悩した同時代の日本人の生の姿と,その自己回復の道のひとつが劇的に表現されていたからである。《恵雨自伝》がある。
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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「芦田恵之助」の解説

芦田恵之助 あしだ-えのすけ

1873-1951 明治-昭和時代の教育者。
明治6年1月8日生まれ。小学校代用教員から東京高師付属小学校訓導となる。樋口(ひぐち)勘次郎に師事し,随意選題による綴(つづ)り方を提唱。大正14年公職をしりぞき,全国教壇行脚をして実践教育をつづけた。昭和26年12月9日死去。78歳。兵庫県出身。旧姓小笠原。号は恵雨。著作に「綴り方教授」「恵雨自伝」など。
【格言など】自己生活内に題材を求めて自己に満足の出来るように書く,それ以外の何物もありません(「小倉講演綴方教授の解決」)

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百科事典マイペディア 「芦田恵之助」の意味・わかりやすい解説

芦田恵之助【あしだえのすけ】

教育家。兵庫県生れ。号は恵雨。東京高師付小訓導。岡田式静坐を学び,東洋的行の立場から〈自己を綴る・読む〉教育,随意選題による作文教育を提唱。退職後地方教壇行脚(あんぎゃ)を重ね,雑誌《同志同行》発行。著書《国語教育易行道》《静坐と教育》など。
→関連項目生活綴方

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世界大百科事典(旧版)内の芦田恵之助の言及

【生活綴方】より

… 生活綴方は,はじめ地方農山漁村の公立小学校の教室とその校区青年会で始まったが,学校では国定教科書のなかった国語科綴方(作文)の時間を使って主におこなわれた。その原型を打ち出した一人である小砂丘(ささおか)忠義は高知県の山村の小学校での実践をへて,1930年から《綴方生活》を編集,全国的な運動の契機をつくったが,その伏線として芦田恵之助の随意選題綴方の主張や鈴木三重吉の《赤い鳥》(1918創刊)による綴方のリアリズムの運動があった。農村の疲弊が進むなかで,東北地方では秋田の青年教師たちを中心に《北方教育》(1930)が創刊され,社会科学的な観点から生活を把握する眼を綴方を通して育てようとする〈北方性教育運動〉が展開された。…

※「芦田恵之助」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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