若山城跡(読み)わかやまじようあと

日本歴史地名大系 「若山城跡」の解説

若山城跡
わかやまじようあと

[現在地名]新南陽市大字福川

福川ふくがわの北、徳山市境の標高二〇〇メートルほどの山頂にあり、城山西北は徳山市大字夜市の伊賀やじのいがである。陶氏の城砦で「地下上申」の矢地(夜市)村の項に「伊賀の上ニ有之 但大手ハ南之方福川村ニて御座候、本丸弐畝程、二ノ丸壱畝程、三ノ丸弐畝程、いつれも壇床ニて往古より石垣等ハ無之、三ノ丸鼻にから堀壱ツ有之、本丸東之方福川村之内ニ数ケ所之から堀竪ニ有之、南之方同村之内ニ小つふ小つふに矢倉あと数ケ所有之候」とあり、同書福川村の項には「往古陶五郎と申仁居城之由地下人申伝候得共、委細之由緒知不申候、(中略)本城と申壇床六七畝も御座候、西東の壇床も同断、又西之方壇床之続キニ少シ下リ蔵屋敷之跡と申候て、壱反計之壇床御座候」と記す。


若山城跡
わかやまじようあと

[現在地名]亀山市若山町 古城

鈴鹿川北岸の丘陵地、亀山城の北西、野村のむら城の丘陵続きの若山にある。文永元年(一二六四)久我くが(現鈴鹿郡関町)より亀山に移った関実忠が築き、以後三〇〇年余にわたって関氏の本城となった。若山が赤山あかやまといわれたことから丹陵たんりよう城と称する。忍山おしやま神宮と地続きのこの丘陵を神山かみやまと称し、亀山城の名のもととなったと伝える(九九五集)

築城当時は丘の最頂部に居館を設けただけであったらしいが、城郭が整うにつれて南西および南東部を矢倉で囲み、掘割を造った。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

事典 日本の地域遺産 「若山城跡」の解説

若山城跡

(山口県周南市福川~夜市)
ふるさと周南景観特選指定の地域遺産。
中世の山城で、福川と夜市にまたがる若山にある。県の文化財に指定。若山城と陶氏の居城があったとされる武井を結ぶ陶の道は、「美しい日本の歩きたくなるみち500選」に選出

出典 日外アソシエーツ「事典 日本の地域遺産」事典 日本の地域遺産について 情報

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