荻江露友(読み)おぎえろゆう

精選版 日本国語大辞典 「荻江露友」の意味・読み・例文・類語

おぎえ‐ろゆうをぎえロイウ【荻江露友】

  1. 荻江節の家元の名。
  2. [ 一 ] 初世。初名千葉新七。津軽の人という。はじめ江戸市村座で長唄の唄方をつとめたが、のち座敷芸として一派を起こし、吉原で流行させる。天明七年(一七八七)没。
  3. [ 二 ] 四世。江戸深川の富豪。家元を復活襲名。地唄曲風をあらたに取りいれ、多くの新曲を作った。天保七~明治一七年(一八三六‐八四

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「荻江露友」の意味・わかりやすい解説

荻江露友
おぎえろゆう

荻江節の家元名。

[林喜代弘・守谷幸則]

初世

(?―1787)荻江節の創始者。初名は千葉新七といって津軽藩士千葉源左衛門の子、のちに長谷川と改姓し泰琳(たいりん)と号した。長唄(ながうた)の初世松島庄五郎(しょうごろう)の門弟であったといわれているが、師弟であるとの証拠はない。1766年(明和3)11月より市村座に出勤、当時の名人富士田吉次(ふじたきちじ)と並び称されたが68年8月に引退、1年9か月の芝居勤めであった。一般的には小音で劇場長唄向きではなかったとの説が有力であるが、67年に立(たて)三味線の錦屋総治(にしきやそうじ)、西川奥蔵(おくぞう)が隠退したことに関係があるのではないかという説もある。

 市村座を去ってから、新吉原でお座敷長唄を創始、これが流行になって荻江節の名を残した。右手に扇を持って縦に構え、左の足を立てて立膝になり、左手で左の耳のあたりを押さえて謡う癖があったという。

[林喜代弘・守谷幸則]

2世・3世

2世は門弟の有田栄橘(えいきつ)(1744―95)が露友の名を譲られ、3世は2世の弟子喜仙(きせん)が継承したと伝えられるが、これらについては異説もあり、確証に価する資料は残存していない。いずれも世間的にはほとんど活動せず、荻江を名のっていた吉原の男芸者連とどういった関係があったのかも不明である。1780年(安永9)刊行の『落書当世見立三幅対(らくしょとうせいみたてさんぷくつい)』に「改名していけぬもの――今の露友」とあるのが2世を示していると思われる。3世は2世の門弟喜仙説のほかに吉原の妓楼(ぎろう)玉屋(定紋をとって火焔(かえん)玉屋とよばれた)主人の山三郎が継承したとの説があり、玉屋山三郎は長唄に京唄をつき交ぜた廓(くるわ)の流行唄をつくり、男女20名くらいの社中(同門の仲間)であったというが詳細は不明である。

[林喜代弘・守谷幸則]

4世

(1836―84)江戸・深川(ふかがわ)の分限者近江(おうみ)屋こと飯島喜左衛門が1876年(明治9)、一説には79年に名のったが、没後名跡は一時とだえた。4世は深川の材木商であったという説と、諸大名御用達(ごようたし)の米穀問屋であったという2説がある。豪商であったが明治維新後の大変革で倒産、両国米沢(りょうごくよねざわ)町で遊芸師匠となった。没年も84年と79年の2説あるが、飯島荻江の確立を考えると前出年が正しいと思われる。名取を取り立てるときに、4世が相応の手当(紋付(もんつき)の羽織を与えるなど)をしたため荻江節を学ぶものが増えたとあるが、事実は不明である。

[林喜代弘・守谷幸則]

5世

(1892―1993)本名前田すゑ。日本画家前田青邨(せいそん)夫人。1956年(昭和31)に5世を名のった。71年芸術院会員。姉の佐橋章(さばししょう)(荻江露章)の死去に際し、その遺志により5世を継承した。荻江節の古曲の保存、正統な伝承のために廃曲『現在道成寺(げんざいどうじょうじ)』などを復活、また新曲『月結露友垣(つきにむすぶつゆのともがき)』『笛を吹く人』『桃』『夕顔』『花』などを世に送り出した。

[林喜代弘・守谷幸則]

『町田佳聲・仁村美津夫著『宗家五世荻江露友』(1968・邦楽と舞踊出版社)』

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新撰 芸能人物事典 明治~平成 「荻江露友」の解説

荻江 露友(5代目)
オギエ ロユウ


職業
荻江節唄方

肩書
荻江節5代目宗家,荻江真守会主宰 日本芸術院会員〔昭和46年〕

本名
前田 すゑ

旧名・旧姓
佐橋

生年月日
明治25年 10月10日

出生地
愛知県 名古屋市

学歴
渡辺高女卒

経歴
11歳で上京、長姉・佐橋章(のち、山彦八重子、荻江章、荻江露章)のもとで、長唄、河東、清元、茶、花など厳しい修行をする。大正元年日本画家の前田青邨と結婚。昭和32年5代目露友を襲名。古典はもとより、多くの新曲をつくり、作品に「蝉丸」「砧」「笛を吹く人」などがある。46年芸術院会員に選ばれる。

受賞
芸術選奨文部大臣賞〔昭和43年〕,日本芸術院賞〔昭和45年〕 勲三等瑞宝章〔昭和48年〕

没年月日
平成5年 9月22日 (1993年)

家族
夫=前田 青邨(日本画家),姉=山彦 八重子(=荻江 露章 河東節三味線方・荻江節唄方)


荻江 露友(4代目)
オギエ ロユウ


職業
荻江節唄方

本名
飯島 喜左衛門

別名
通称=近江屋 喜左衛門

生年月日
天保7年

出生地
江戸(東京都)

経歴
江戸・深川北川町で近江屋という米穀商を営み、“今紀文”と呼ばれるほどの豪商であった。遊芸をたしなみ、同好の士であった吉原の玉屋山三郎とともに荻江節の再興を企図。明治12年には中絶していた同節の家元・荻江露友の名を継ぎ、4代目となった。その芸はまったくの旦那芸とも言われたが、地歌を取り入れた新作を数多く作るなど、今日の荻江節の礎を築いたことは特筆に値する。代表作に「深川八景」「松」「竹」「梅」などがある。

没年月日
明治17年 6月30日 (1884年)

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改訂新版 世界大百科事典 「荻江露友」の意味・わかりやすい解説

荻江露友 (おぎえろゆう)

江戸長唄から分派した荻江節の家元。(1)初世(?-1787(天明7)) 初世松島庄五郎の門人と伝える。本姓千葉。津軽藩士の子という。1766-68年(明和3-5)の間,江戸市村座の立唄(たてうた)として活躍,富士田吉治(次)と並び称されたが引退,吉原に入ってお座敷風長唄を創始。のち剃髪して長谷川泰琳。2世はその弟子有田栄橘(1744-95),3世は2世の弟子喜仙というが未詳。(2)4世(1836-84・天保7-明治17) 東京深川の豪商近江屋(飯島)喜左衛門。1879年に4世を名のったが,芸はしなかったと伝える。(3)5世(1892-1993・明治25-平成5)本名前田すゑ。日本画家前田青邨の妻。1957年5世を名のったことから荻江節は古曲会派(荻江会)と前田派(真茂留(まもる)会)とに分裂。1971年芸術院会員。新作多数がある。
荻江節
執筆者:

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20世紀日本人名事典 「荻江露友」の解説

荻江 露友(5代目)
オギエ ロユウ

昭和・平成期の荻江節唄方 荻江節5代目宗家;荻江真守会主宰。



生年
明治25(1892)年10月10日

没年
平成5(1993)年9月22日

出生地
愛知県名古屋市

本名
前田 すゑ

旧姓(旧名)
佐橋

学歴〔年〕
渡辺高女卒

主な受賞名〔年〕
芸術選奨文部大臣賞〔昭和43年〕,日本芸術院賞〔昭和45年〕,勲三等瑞宝章〔昭和48年〕

経歴
11歳で上京、長姉・佐橋章(のち、山彦八重子、荻江章、荻江露章)のもとで、長唄、河東、清元、茶、花など厳しい修行をする。大正元年日本画家の前田青邨と結婚。昭和32年5代目露友を襲名。古典はもとより、多くの新曲をつくり、作品に「蟬丸」「砧」「笛を吹く人」などがある。46年芸術院会員に選ばれる。

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朝日日本歴史人物事典 「荻江露友」の解説

荻江露友(初代)

没年:天明7.7.5(1787.8.17)
生年:生年不詳
江戸中期,荻江節の開祖。本姓は千葉。長唄唄方の初代松島庄五郎の門人という。明和3(1766)年から5年に江戸市村座で長唄立唄として活躍し,初代富士田吉次と並び称された。その後劇場出演をやめ,吉原の廓内でお座敷風の長唄・荻江節を創始し,流行させる。安永年間(1772~81)に門弟の有田栄橘に2代目露友を譲り,長谷川泰琳と名乗った。劇場出演をやめた理由については,声が劇場向きでなかったためといわれるが,もともと長唄が本業ではなく旦那芸であったのが,何かの機会に劇場に出演するに至ったという岡野知十の説もある。

(吉野雪子)


荻江露友(4代)

没年:明治17.6.30(1884)
生年:天保7(1836)
江戸後期から明治にかけての荻江節の太夫。江戸深川北川町の米穀問屋で,本名近江屋(飯島)喜左衛門。江戸中期の豪商紀伊国屋文左衛門(紀文)になぞらえて今紀文といわれたほどの富豪であった。明治12(1879)年に絶えていた荻江節の家元を復活させたが,一説ではまったくの旦那芸であったともいわれる。初代三遊亭円朝に『月諷荻江の一節』がある。<参考文献>町田嘉章「荻江節談義」(『古典』1号)

(吉野雪子)

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「荻江露友」の意味・わかりやすい解説

荻江露友(1世)
おぎえろゆう[いっせい]

[生]?
[没]天明7(1787).7.5. 江戸
荻江節の家元。もと津軽藩士千葉新七と伝えられる。初め長唄の歌い手で,明和3 (1766) 年江戸市村座に出演,わずか3年ほどで舞台を退き,吉原で男芸者となったらしい。吉原で節を細かく優艶なお座敷本位の長唄の歌い方を考案,流行させた。メリヤスを得意とした。のち剃髪して長谷川泰琳と号す。

荻江露友(5世)
おぎえろゆう[ごせい]

[生]1892.10.10. 名古屋
[没]1993.9.22. 東京
荻江節の家元。本名前田すゑ。佐橋しやう (荻江露章,1878~1946) の実妹で,日本画家前田青邨夫人。 1955年襲名。ただし,勝手に名のったというので荻江節は2派に分裂。

荻江露友(4世)
おぎえろゆう[よんせい]

[生]弘化3(1846).江戸
[没]1884.6.23. 東京
荻江節の家元。本名飯島喜左衛門。深川の富豪で近江屋。 1879年に襲名。荻江節を復活した。没後は妻いくが家元を預っていたが,その没後は中絶。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「荻江露友」の解説

荻江露友(4代) おぎえ-ろゆう

1836-1884 明治時代の荻江節家元。
天保(てんぽう)7年生まれ。江戸深川の富豪で通称近江屋(おうみや)喜左衛門。吉原の玉屋山三郎のすすめで明治12年4代を襲名し,家元名を復活させた。旦那(だんな)芸ともいわれるが,新作をくわえ,地歌をとりいれるなど現在の荻江節の基礎をきずいた。明治17年6月30日死去。49歳。江戸出身。姓は飯島。

荻江露友(初代) おぎえ-ろゆう

?-1787 江戸時代中期の荻江節唄方。
荻江節の祖。初代松島庄五郎の門弟で,明和3年から長唄の立唄(たてうた)として江戸市村座にでて名をはせた。のち劇場出演をやめ,吉原の遊廓でお座敷風の長唄をはじめて流行させた。のち荻江節として後世にうけつがれた。隠居して長谷川泰琳と号した。天明7年7月5日死去。姓は千葉。通称は新七。

荻江露友(5代) おぎえ-ろゆう

1892-1993 昭和-平成時代の荻江節家元。
明治25年10月10日生まれ。前田青邨(せいそん)の妻。姉の荻江章(のち露章)に荻江節を伝授され,4代目でとだえていた名跡をつぎ,昭和32年5代を襲名。46年芸術院賞。同年芸術院会員となる。平成5年9月22日死去。100歳。愛知県出身。旧姓は佐橋。本名は前田すゑ。

荻江露友(2代) おぎえ-ろゆう

?-1795 江戸時代中期-後期の荻江節唄方。
初代の門弟で,安永のころ2代を襲名する。寛政7年9月10日死去。姓は有田。通称は栄橘。

荻江露友(3代) おぎえ-ろゆう

?-? 江戸時代後期の荻江節家元。
2代荻江露友の弟子露鶴の子喜仙。弘化(こうか)4年(1847)3代をついだといわれるが異説もある。

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367日誕生日大事典 「荻江露友」の解説

荻江 露友(5代目) (おぎえ ろゆう)

生年月日:1892年10月10日
昭和時代;平成時代の荻江節家元
1993年没

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世界大百科事典(旧版)内の荻江露友の言及

【荻江節】より

…三味線音楽の一種目。初世荻江露友(ろゆう)は長唄のうたい手だったが,1768年(明和5)に引退,吉原の遊郭で座敷歌風な長唄を創始(《水仙丹前》《百夜車(ももよぐるま)》など),荻江節の開祖となった。また〈めりやす〉の影響が強い作品(《稲舟(いなぶね)》《小町》《喜撰》など)もある。…

【金谷丹前】より

…丹前とは伊達(だて)風俗を表した語で,丹前男が傾城(けいせい)のもとへ通う筋であるが,思う女を寝取られた男の淋しさ,迷いとほのかな嫉妬を含んだ曲である。初世荻江露友がこの曲の繊細な旋律にひかれ,自流に移し,今日では先行長唄より荻江節の代表曲となっている。地唄舞風のしっとりした振りがつけられている。…

【長唄】より

…前述の《安宅松》《鞭桜宇佐幣》はその例である。この期の唄方には初世富士田吉次のほか,のちに遊里に進出して荻江風(おぎえふう)長唄(のちの荻江節)を創始した初世荻江露友,そのほか初世坂田仙四郎,初世湖出市十郎,三味線方に錦屋総治,西川億蔵,初世杵屋作十郎,2世杵屋六三郎,囃子方に宇野長七,3世田中伝左衛門などがいる。 安永・寛政期(1772‐1801)は長唄が上方依存から江戸趣味へと転向し,内容本位の唄浄瑠璃風の長唄から拍子本位の舞踊曲へと移行する,いわば過渡期であり,《二人椀久(ににんわんきゆう)》《蜘蛛拍子舞(くものひようしまい)》がその代表曲であった。…

※「荻江露友」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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