知恵蔵 「菊地直子」の解説
菊地直子
教育熱心な家庭に育ち成績優秀で、名門進学校である大阪教育大学附属天王寺中学校に入学、同大学附属高等学校天王寺校舎へ進学。陸上部の選手として、地区大会で上位入賞したこともあったが、マラソンで足を痛めて治療のため、オウム真理教につながるヨガ道場に通った。このことをきっかけにして入信したという。オウム真理教はチベット密教などを取り入れた修行で解脱に至ると主張し、幻覚剤や極度の肉体的・精神的疲労による「神秘体験」や奇怪な手法による洗脳によって信者を獲得していた。単に座禅を組んでぴょんぴょん跳ねるだけの「空中浮遊」や、事前の過剰な酸素吸入で息を止めているにすぎない「水中クンバカ」などを修行による「奇跡」だと主張。90年代には衆議院総選挙への大量立候補や、雑誌・テレビなどへ積極的な露出を強めていった。菊地は、92年の東京国際女子マラソン、94年の大阪国際女子マラソンなどにオウム真理教陸上競技部として出場し、宗教的「実証」や教団の宣伝活動に一役かった。
80年代末から90年代中頃にかけて、オウム真理教は凶悪な事件を次々と起こした。菊地も、95年の地下鉄サリン事件だけでなく東京都庁小包爆弾事件にも深く関与しているものと思われている。このことから菊地は「走る爆弾娘」の異名をとる。地下鉄サリン事件については、公訴の提起による時効の停止や、2010年の刑事訴訟法改正による殺人罪の公訴時効廃止により、期限なく訴追が可能である。指名手配写真と大きく異なる逮捕時の風貌や、07年頃まで共に逃亡していた高橋克也など複数の男性信者との性の葛藤を綴ったノートの存在、警官が隠れ家を訪問・巡回しながらも見逃したこと、容疑者と知りながら同棲状態で匿(かくま)っていた自称会社員の男との金銭のやりとり、その男の兄が通報者と見られること、1000万円の報奨金の行方など、通俗的なことがらも様々取りざたされている。
(金谷俊秀 ライター / 2012年)
出典 (株)朝日新聞出版発行「知恵蔵」知恵蔵について 情報