中国,清代初期の文人。字は留仙,号は柳泉,斎号を聊斎(りようさい)といった。中国の文語体の怪異小説の傑作集《聊斎志異》の作者として不朽の文名を残した。山東淄川(しせん)県(現,淄博(しはく)市)の蒲家荘で蒲槃(ほはん)の四男として生まれ,父から読書人としての教育を受けたが,その文学的才能は兄弟中で最もすぐれていて,19歳で受験した童子試では,県・府・道の三試に続けて首席で合格し,当時の大詩人施閏章(しじゆんしよう)に認められ,大いに文名があがった。しかし以後は科挙の郷試になん度受験しても合格せず,中国の知識人としては不遇の生涯に終わった。71歳で貢生になるまでは,38年間も家塾の教師をつとめるかたわら,読書と著述にうちこみ,《聊斎志異》以外に,戯曲,俗曲,詩集,詞集など,多くの文学作品を書き,また民衆のために《日用俗字》や教育関係の書,天文や薬草や農業に関する実益的書物を執筆し,郷党の長老として啓蒙的活動をした。
執筆者:藤田 祐賢
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
中国、清(しん)初の文学者。字(あざな)は留仙(りゅうせん)または剣臣(けんしん)、号は柳泉(りゅうせん)。山東省済南(さいなん)府淄川(しせん)県蒲家荘(ほかそう)(現在の淄博(しはく)市)に生まれる。卓抜な文才をもち、19歳で童子試の県試、府試、院試に連続して首席合格し秀才となったが、その後の郷試は何回受験したか正確には不明だが合格できなかった。彼の遺文を読むと、いつまでも功名の念を捨てられなかったその姿が浮かび上がる。33歳から70歳まで同県の権勢家の家塾の教師を務めるかたわら、読書と多くの著述に専念し、なかでも中国文語小説史上の最高傑作『聊斎志異(りょうさいしい)』によって不朽の文名を残した。71歳でやっと貢生(こうせい)になったにすぎず、知識人としては不遇の一生を送った。
[藤田祐賢]
『大阪市立大学中国文学研究室編『中国の八大小説』(『「聊斎志異」の作者と時代』所収・1965・平凡社)』
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