デジタル大辞泉
「藤崎八旛宮」の意味・読み・例文・類語
ふじさき‐はちまんぐう〔ふぢさき‐〕【藤崎八旛宮】
出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例
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藤崎八旛宮
ふじさきはちまんぐう
[現在地名]熊本市井川淵町
国道三号から南千反畑町と北千反畑町の間を東に二五〇メートルほど入る参道の正面、井川淵町にある。祭神は応神天皇・住吉大神・神功皇后。旧国幣小社。もと熊本城の西、三ノ丸、現在の藤崎台球場付近にあった。社伝によれば承平五年(九三五)平将門追討の勅願により、山城国石清水八幡宮を飽田郡宮崎庄(「和名抄」に飽田郡宮前郷とある)茶臼山に勧請したのに始まるという(同二年、三年説もある)。勅使が持ってきた藤鞭を地に植えたところ、枝葉が生じる奇瑞が起こったため、藤崎と名付けられたとも伝える。以来九州五所別宮の一つで、国家鎮護の霊社として朝廷の尊崇厚く、また軍神として武士の尊崇をうけた。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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藤崎八旛宮
ふじさきはちまんぐう
熊本市中央区井川淵(いがわぶち)町に鎮座。旧国幣小社。祭神は応神(おうじん)天皇、神功(じんぐう)皇后、住吉大神を配祀(はいし)。平将門(まさかど)・藤原純友(すみとも)反乱の鎮定祈願のため、935年(承平5)熊本城内にあった旧社地に石清水八幡宮(いわしみずはちまんぐう)の分霊を迎えて創建されたと伝える。九州八幡五所別宮の一つ。国府の所在地であったため、国府八幡として国司の崇敬を受け、以後、菊池、細川ら大名の厚い尊信を受けた。1877年(明治10)西南の役の兵火にあい焼失、現社地に再建した。例祭9月15日。社宝に国重要文化財の正和(しょうわ)元年(1312)作の僧形八幡神・女神像がある。
[岡田荘司]
出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例
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