藤沢桓夫(読み)フジサワ タケオ

20世紀日本人名事典 「藤沢桓夫」の解説

藤沢 桓夫
フジサワ タケオ

大正〜平成期の小説家



生年
明治37(1904)年7月12日

没年
平成1(1989)年6月12日

出生地
大阪府大阪市

学歴〔年〕
東京帝国大学文学部国文科〔昭和5年〕卒

主な受賞名〔年〕
大阪市文化賞〔昭和35年〕

経歴
大阪高校在学中から「猟人」などの同人雑誌を創刊し、大正14年「辻馬車」に参加して「首」などを発表。横光利一川端康成ら新感覚派の影響をうけたが、後にプロレタリア文学に移り「ローザになれなかった女」「傷だらけの歌」などを発表。その後健康を害し、昭和8年以降大阪に定住し、新聞、雑誌の連載小説を書き、大阪文壇の大御所的存在となる。将棋麻雀競馬など趣味が広い。「傷だらけの歌」「辻馬車時代」「新雪」「大阪自叙伝」「回想の大阪文学」などの著書のほか、「藤沢桓夫長編小説選集」(全20巻 東方社)がある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「藤沢桓夫」の意味・わかりやすい解説

藤沢桓夫
ふじさわたけお
(1904―1989)

小説家。大阪に生まれる。東京帝国大学国文科卒業。漢学者家系に生まれ、旧制大阪高校在学中より『猟人』『龍舫(りゅうほう)』などの同人誌で習作を発表する。『辻(つじ)馬車』に掲載した『首』(1925)が横光利一(りいち)、川端康成(かわばたやすなり)に認められて新感覚派周圏の新人として文壇に進出した。のち、左傾するが健康を害して療養生活を送る。1933年(昭和8)以降、大阪に戻って織田作之助(おださくのすけ)や田辺聖子らと交流して大阪文壇の中心的存在として活躍した。長編小説『新雪』(1941~42)、『大阪自叙伝』(1974)などがある。

[金井景子]

『『藤沢桓夫長編小説選集』全20巻(1954~57・東方社)』『『大阪自叙伝』(中公文庫)』『『大衆文学大系23』(1973・講談社)』

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百科事典マイペディア 「藤沢桓夫」の意味・わかりやすい解説

藤沢桓夫【ふじさわたけお】

小説家。大阪市生れ。東大国文卒。《首》《結婚の死》などで新感覚派的な才筆を認められ,早く文壇に出た。以後《生活の旗》《傷だらけの歌》等を書き左翼作家として活躍,ナップに所属したが,《大阪の話》《花粉》以後,次第に通俗小説に移った。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「藤沢桓夫」の解説

藤沢桓夫 ふじさわ-たけお

1904-1989 大正-平成時代の小説家。
明治37年7月12日生まれ。漢学者藤沢南岳の孫。藤沢黄坡(こうは)の長男。大阪高時代,神崎清らと「辻馬車」を創刊。東京帝大在学中,武田麟太郎,高見順らと「大学左派」に参加。健康を害し,昭和8年から郷里の大阪に定住し,大衆小説を数おおくかいた。平成元年6月12日死去。84歳。著作に「辻馬車時代」「新雪」「大阪自叙伝」など。

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367日誕生日大事典 「藤沢桓夫」の解説

藤沢 桓夫 (ふじさわ たけお)

生年月日:1904年7月12日
大正時代-平成時代の小説家
1989年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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