日本大百科全書(ニッポニカ) 「衣文」の意味・わかりやすい解説
衣文(美術用語)
えもん
Gewandfalten ドイツ語
日本では元来、装束の着付の方法のことであったが、転じて衣類の襞(ひだ)によってつくられる文様の意となり、美術用語では作品に表されている衣類の皺(しわ)をいう。
西洋の、とくに中世彫刻では、この衣文の様式が制作年代推定の重要な手掛りとされている。すなわち、13世紀から15世紀にかけて年代順に、小径状衣文、細目平行衣文、流衣文、丸味盤状衣文、Y字型衣文、滝状衣文、髪針状衣文、折襞鉤(ひだこう)状衣文、折返衣文などと名づけられている。
[三田村畯右]
日本の彫刻も同様に、衣文の線の流れや、その断面の形状は、彫刻の時代や系統を表す特色を備えている。たとえば飛鳥(あすか)時代の止利(とり)様式の像に多い馬の鞍橋(くらぼね)形の線や直角の断面、天平(てんぴょう)時代の柔らかい写実的な線、平安初期彫刻の翻波(ほんぱ)式とよばれる断面や如来(にょらい)像のY字形衣文線などは、その代表的な例である。
[佐藤昭夫]
衣文(公家衣服の着装法)
えもん
公家(くげ)衣服の着装法。衣紋とも書く。平安時代末期、院政期に鳥羽(とば)上皇や、花園(はなぞの)の左大臣といわれた源有仁(ありひと)たちが、風流の趣向から着装法を考案したといわれる。この時期、公家階級の衰退、武家の台頭という情勢にありながらも、公家の衣服は大形化し、強(こわ)張った形式の、いわゆる強装束(こわしょうぞく)となった。このような服装の変化に伴い、折り目正しく着装するために、襞(ひだ)のとり方や紐(ひも)の結び方などに技巧を要するようになり、自分一人では着装が困難となって、着付専門の衣文者が必要となった。さらに流儀が生じて衣文道が始められた。この道は大炊御門(おおいみかど)、徳大寺の両家に伝えられ、のちに高倉、山科(やましな)の両家が衣文の家となり今日に受け継がれている。
[高田倭男]